師匠シリーズ
先生

この怖い話は約 4 分で読めます。

776 先生  後編 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 23:10:30 ID:4o0HgrnU0
ぶつぶつと言うと、「エッヘ」と腰を上げじいちゃんと同じように部屋から出て行った。
取り憑かれていた? 僕が?
色々なことが頭を駆け回りすぎて、ガタガタと身体が震えた。そして知らないあいだに涙が流れていた。

僕の風邪はただの風邪だった。感染性の恐ろしい病気などではなかった。
すっかり身体が良くなっても僕はあまり外には出なかった。家にこもって宿題をやり、全部片付けてしまうと今度は公民館にある図書室で本を借りて読んだ。
シゲちゃんや病院から戻ったタロちゃんなんかが遊びに誘ってきても、あんまり気が乗らなかった。
それでもダンボールで作ったスーパーカーに乗り込んで遊ぶ仲間たちを見ていると、みんなあんまり出来が悪いので居ても立ってもいられなくなり、カッコいいフェラーリを作成して参戦した。
ただぶつけて遊ぶだけなのだが、フェラーリの輝くボディに恐れをなしたやつらが逃げ回るのは気持ちが良かった。最後はシゲちゃんと一騎打ちになってとうとう負けてしまった。
シゲちゃんのボディには、ダンボルギーニ・カウンタックとマジックインキで書いてあった。やっぱりかなわない。
そんな風に僕は少しずつ元気になっていったけれど、鎮守の森には近づかなかった。「もう行くでない」とじいちゃんに言われたこと、そして先生自身にきてはいけないと言われたことを、自分への言い訳にしていたのかも知れない。
考えないようにしても夏は終わる。僕にも帰るべき本当の家があり、学校がある。このまま目を閉じ、耳を塞いだままには出来なかった。ケジメだと思ったのだ。案外律儀な子どもだったらしい。
明日にもお世話になったシゲちゃんの家からおいとまするという日。僕は鎮守の森へ一人で入っていった。
あいかわらず耳の痛くなるような蝉時雨の中、薄暗い葉陰の下を黙々と歩く。神社の参道を横目に、道の奥へと足を進める。
雨がほとんど降らないので、柔らかい土についた足跡が汚らしく残っているのが目に付く。

778 先生  後編 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 23:16:23 ID:4o0HgrnU0
みんな僕の足跡のようだった。僕はそれを見ながら思い出す。あの日、初めてこの森を抜けた時、神社より向こうには誰の足跡もついていなかったことを。
よく考えるとおかしい。先生が言っていたように、僕らの村と森の向こうの集落との間にはこの鎮守の森を抜けるほかに道がないのであれば、人の足跡がたくさんついているはずなのだ。役場だって郵便局だって森のこっち側にしかないのだから。
そんな綻びを見つけられないまま、僕は知らず知らずのうちにこの世の裏側に足を踏み入れていたのだろうか。
俯き加減で黙々と歩き続け、暗い木のアーチを抜けると青空が頭上に広がった。
同じだ。緑の畦道。畑。蛙の鳴き声。空を横切るツバメの羽の軌跡。目の前の光景に一瞬目を細めて、そしてやがて気づく。
畦道に雑草が生い茂っていること。畑にも雑草が生い茂っていること。蛙の鳴き声はずっと小さいこと。山の中腹に見える民家は、屋根に穴が開きとても人が住んでいるようには見えないこと。
そして同じことが一つ。電信柱も電線も、どこにも見えない。
僕はふらふらと畦道を歩く。絡まる草を踏みつけながら、坂道の前に着いた。なだらかに続き、見上げるとその向こうには古ぼけた瓦屋根がある。汗を振り払いながら僕は坂を登る。
途中で振り返り、集落を見下ろす。誰もいない。動くものの影と言えばツバメばかりだ。所々に白い花が咲いている。
僕は広場に着く。校庭と呼ばれて初めてそうであると気づいたはずの場所は、今はそう言われても分からない。朽ちた木片が散乱する荒れ果てた広場だった。
そしてその向こう。僕が毎日見上げていた校舎は黒く変色して酷く歪んでいる。壁にはいたる所に穴が開き、ささくれ立った木片がギザギザに突き出ている。向かって左下、小さな母屋があった場所には焦げたような跡と、瓦礫の残骸があるだけだった。
僕は目の前の光景が意味するもののことを考える余裕もなく、ふらふらと夢遊病のように玄関口に吸い込まれていった。
中はさらに酷い有様で、煤と穴と木切れの山だった。下駄箱の残骸の横を通り抜け、靴のまま校舎の廊下に上がる。蜘蛛の巣を払い除けながら階段に足をかけると、バキッと音がして底が抜けそうになった。

この怖い話にコメントする

先生