師匠シリーズ
先生

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そうしていつのまにか世界史の授業は算数の授業に変わり、たっぷりと問題を解かされたところでお昼になった。
「また明日ね」
帰り道、結局「嫌い」だと明言したはずの算数をいつのまにかやらされていたことに首を捻りながら歩いた。算数の問題はプリントじゃなく手書きで、それを解いているとなんだか先生と会話しているような変な気になる。
それほど嫌じゃなかった。また明日行こうと思った。

536 先生 前編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/08/22(土) 00:14:38 ID:ZFtl5JP90
そうして、僕と先生の夏休み学校が続いた。朝は世界史の講義。次に算数。それからいつのまにやら漢字の書き取りが加わっていた。
ほかの子は誰も夏休み学校にこなかった。「悪い風邪が流行ってるから、あなたも気をつけてね」と言われ、僕は力強く頷く。
世界史の勉強は面白く、走りばしりではあったけれど歴史の魅力を十分僕に伝えてくれた。算数や漢字の書き取りの時間はあんまり楽しくはなかったけれど、出来てその紙を先生に見せる時のあの誇らしいような照れくさいような感じはキライじゃなかった。
僕が問題を解いているあいだ、先生は窓辺の席に腰掛けて折り紙を作っていた。それは小さい折鶴で、ある程度数がまとまってから先生は糸を通した鶴たちを窓にかけた。
「みんな早く風邪が直ればいいのにね」
そしてまた次の鶴を折るのだった。

僕は不謹慎にも、風邪なんか治らなくていいよと心の底では思っていた。先生との二人だけの時間をもっと過ごしたかった。でも、僕が机の上の問題にかかりっきりになっているあいだ窓辺に座る先生の横顔は寂しそうで、
その瞳が窓の外をぼうっと見るたびになんだか僕は切なくなるのだった。
「言葉が違うね」と僕に言った先生自身も、その言葉には訛りがほとんどなかった。高校に入る時東京に出て、大学も東京の大学に受かってずっと向こうで暮らしていたらしい。
それが東京で就職も決まっていたのに、実家のお母さんが倒れたというのですべてを投げ打って帰ってきたんだそうだ。その話をしてくれた時、先生の瞳の光は曇っていた。
「私の家は母子家庭でね、お母さん一人を残して出て行っちゃった時、やっとこんな田舎から離れられるって、それしか考えてなかった。なんにも言わずに仕送りをしてくれてたお母さんがどんな思いでこの田舎で働いていたか、全然考えてなかった」
だから今は臨時教員などをしながら、家で母親の看護をしているのだそうだ。

538 先生 前編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/08/22(土) 00:17:11 ID:ZFtl5JP90
僕はお邪魔したことはないけれど、校舎の隣の小さな家に二人で暮らしているらしい。
先生にはなにかやりたいことがあったんだろうと思う。それを捨てて、今はこうして田舎で子どもたちを教えている。小さなオンボロの学校で。手作りの問題集で。
お昼になって、僕が帰る時先生はいつも二階の窓から身を乗り出して手を振った。「明日もきてね」と。僕はいつか夏が終わるなんて考えていなかったのかも知れない。蝉の声が耳にいつまでも残っていて、晴天の下をポッコポッコと歩いて、
通る人の影もない道を毎日毎日わくわくしながら通い続けた。
林間学校からシゲちゃんが帰ってきても、午前中だけは彼らの遊びの誘いに乗らなかった。

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