師匠シリーズ
先生

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その夜、晩ご飯を食べている時に、おじさんからタロちゃんが三、四日後には退院できるらしいと伝えられた。僕もホッとしたけれど、首謀者であり、親分でもあるシゲちゃんが一番ホッとした顔をしていた。

685 先生 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/08/28(金) 23:39:39 ID:4kHIdhSj0
食べ終わってから、僕はシゲちゃんに顔入道の洞窟にもう一度行ったことを話そうと思ったけれど、「疲れたからもう寝る」と言ってあっというまに布団に入られてしまった。
僕はどういうわけか顔入道の笑顔のことをほかの人に話すのが妙に恐い気がしたので、「寝ちゃったからしかたないや」と自分に言い訳をしながら居間でテレビを見ることにした。
ブラウン管の向こう側ではプロレス中継をやっていた。恐い顔の外国人レスラーがマットの中や外で大暴れしていたけれど、刻一刻とその表情は変わり、どの瞬間にも同じ顔はなかった。睨む顔、強がる顔、痛がる顔、笑う顔、吠える顔。
繕い物をしているばあちゃんと並んで、僕はテレビの前にずっと座っていた。

次の日、少し元気になったシゲちゃんが朝から外へ遊びに行ったのを見送ってから、僕は夏休み学校へ行く準備を始めた。先生にどうやって洞窟のことを話そうか考えながら一応宿題をやるふりをしていると、ばあちゃんがハタキを持って部屋に入ってきた。
パタパタと家具や壁を叩いて回り、ちょっと重い物をどかす時に「エッヘ」と言いながら小一時間ハタキをかけていた。僕は早く出て行きたかったけれど、なんとなくタイミングを失ってどんどん埃っぽくなっていく部屋の中でイライラしていた。
すると一通りハタキを掛け終わったのか、ばあちゃんが腰を叩きながら目の前に立つと僕の顔をまじまじと見つめてきた。
そして、「あんた、つかれちょらんか」と言った。
この二、三日のあいだは確かに色々あって疲れている。それでもタロちゃんがすぐ退院できると分かったし、昨日会えなかった先生に早く会いたかった。会って、話をしたかった。
僕は「別に」と言って立ち上がり、散歩してくる、とばあちゃんを残して部屋を出た。
外はあいかわらずカンカンと日が照っていて、半そでから伸びる腕の何重にもなった日焼けの跡が疼いた。

694 先生 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/08/29(土) 00:01:43 ID:4kHIdhSj0
顔見知りのおばさんとすれ違って「おはようございます」なんて挨拶しながら、なんにもない道をてくてく歩いているとなんだか足が重いような気がする。やっぱり疲れてるな。朝ご飯もお茶碗一杯しか食べられなかったし。
それでも僕の足は素晴らしく早く動いた。入道雲が北の山の稜線に大きな影を落としている、その先を目指して。

アッバース朝や後ウマイヤ朝、ファーティマ朝など分裂・建国を繰り返したイスラム国家はトルコやイベリア半島、北インドなどに確実に勢力を伸ばしていった。
その中でローマ帝国の後継者ビザンツ帝国の領土に侵攻したセルジューク朝はキリスト教の聖地エルサレムまでも圧迫したので、ローマ教皇の号令の下についに西方諸国が腰を上げ十字軍が結成された。
成功に終わった第一回遠征の後も、十字軍はトルコ人やエジプトのサラディンなど相手を変えながら第二、第三、第四と続いて結局第七回くらいまでいったらしいけれどイスラム勢力との決着はつかなかった。
それはそうだろう。今だってターバンを巻いたりスカーフをしたりして「インシュアラー」なんて言っている人がたくさんいる所をテレビで見るんだから。みんなやられちゃったはずはない。
あの人たちが、先生から教えてもらう歴史の先にいるのだ。そう思うと、先生の口から語られる遠い世界の出来事も、けっしてファンタジーの世界の物語ではなくこの僕の生きている今に繋がっているのだと実感する。
凄いことが起きたら、その凄いことが今の人間の社会のどこかに影響している。だから僕はほかの科目にはないくらい、ハラハラドキドキしながら先生の授業を受けた。漢字がたくさん出てくる中国の歴史はさわりだけで勘弁してもらったけれど。
「で、どうしたの」
世界史の講義が終わった休み時間、洞窟であったことをどう話そうか悩んでいる最中に先生の方から訊いてきた。おかげで僕はビビって逃げたことを上手くごまかせずに、全部話してしまった。かっこ悪いな。ゲンメツしたかな。

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