師匠シリーズ
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682 先生 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/08/28(金) 23:31:44 ID:4kHIdhSj0
これはいったいなんなのだろう。
足がガクガクと震える。目の前で白い顔がぐにゃぐにゃと飴のように形を変えていくような錯覚がある。……でもそれは本当に錯覚だろうか。
僕は、泣きそうになりながらも、「これだけはする」と決めていた確認作業を断行した。生唾を飲みながら、震える足を叱咤して少しずつ顔に近づいていく。
顔が大きくなっていくにつれ、この狭い空間がこの世から切り離された異空間のような気がしてくる。どんなことが起こっても不思議ではないような。
それでも僕は自分の顔を突き出し、顔入道の表面に光をあてる。よく見ると、ところどころボロボロと塗装が剥げ、白い顔にも黒い汚れが目立った。
その地肌は確かに岩で、その上に描かれた顔は昨日今日のものではないのは明らかだった。何年も、いや何十年も前から同じ顔でここにこうして洞窟に挟まっているはずのものだった。
顔の真下には折れた歯のような塗料のついた尖った岩。笑っていても、ついさっきまで牙のあった証のように青白く光っている。
僕は今までとは違う、別の寒気に襲われとっさに逃げ出した。くるりと振り返って、きた道をひたすら戻る。
うわあ、という叫び声を上げたと思う。ギャー、だったかも知れない。とにかく僕は何度も転けそうになりながら走り続けた。白い手が追いかけてくる幻想が、昨日よりもくっきりと頭に浮かんだ。恐い。恐い。なんだこれ。なんだこれ。
それでも射し込む太陽の光が道の先に見えた瞬間にブレーキをかけた。洞窟の外まで飛び出した僕は、崖の前でピタリと止まることができた。
昼間だったから良かったのだ。夜だったら、洞窟の続きのような暗い空の下に両手両足を泳がせていたかも知れない。
背中に異様な気配を感じる。ハッと振り返ると洞窟の奥に赤い着物の裾が翻ったような気がした。それはすぐに記憶の彼方へ消えて、現実だったのか幻だったのかわからなくなってしまう。
僕はガチガチと震えながら、洞窟の入り口から中へ小声で問いかけた。
「誰かいるの」

683 先生 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/08/28(金) 23:36:03 ID:4kHIdhSj0
いるはずはなかった。中は一本道なのだ。行き止まりにはあの顔入道の岩がつっかえている。がっしりと地面にも壁にも天井にも食い込んでいて、とても動きそうには見えなかった。
だから洞窟の途中に誰もいなかったからと言って、その岩の奥に誰かが隠れているはずはない。
こういうのをなんて言うんだっけ。こないだテレビでやっていた。そう。密室。密室だ。
密室の中には生きたままミイラになったお坊さんがいるはずだ。真っ暗闇の中で座禅を組み、もう二度と変わらない表情を顔に貼り付けたままで。
その顔は怒っているのだろうか。笑っているのだろうか。
ああっ。
なんだかたまらなくなり、僕は逃げ出した。崖を回り込み、山道を駆け下りる。振り返らずに。汗を飛び散らせて。
ぜいぜい言いながらひたすら走り続けていると、頭が勝手に想像し始める。
顔入道が怒ったら、悪いことが起きる。
じいちゃんが、「あれはおそろしいものだ」と言っていた。本当なのかも知れない。ひょっとしてタロちゃんが崖から落ちたのだって、その「悪いこと」に入っているのかも知れない。目に見えない手が、崖の前でその背中を押したのかも知れない。
でもさっき見た顔入道は笑っていた。
けれどそれがなにか楽しいことを暗示しているような気がしない。いつもは誰もこないはずの暗い洞窟の奥底で、どうして笑っていたのだろう。
想像が顔入道の笑顔を大げさに変形させ、視界一杯に、いや頭の中一杯に広がって行く。その奇怪な姿を僕は振り払おうと振り払おうと、木の根を飛び越えながら駆け続けた。

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