師匠シリーズ

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386 海  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2006/12/02(土) 14:22:40 ID:Q8VwWIU/0
大学2回生の夏。
俺は大学の先輩と海へ行った。
照りつける太陽とも水着の女性とも無縁の、薄ら寒い夜の海へ。
俺は先輩の操る小型船の舳先で震えながら、どうしてこんなことにな
ったのか考えていた。
眼下にはゆらゆらと揺らめく海面だけがあり、その深さの底はうかが
い知れない。
ときどき自分の顔がぐにゃぐにゃと歪み、波の中にだれとも知れない
人の横顔が見えるような気がした。
遠い陸地の影は不気味なシルエットを横たえ、時々かすかな灯台の光
が緞帳のような雲を空の底に浮かび上がらせている。

「海の音を採りに行こう」
という先輩の誘いは、抗いがたい力を秘めていた。
オカルト道の師匠でもあるその人のコレクションの中には、あやしげな
カセットテープがある。聞かせてもらうと、薄気味の悪い唸り声や、
すすり泣くような声、どこの国の言葉とも知れない囁き声、そんなものが
延々と収録されていた。聞き終わったあとで「あんまり聞くと寿命が縮むよ」
と言われてビビリあがり、もう二度と聞くまいと思うが、何故かしばらく
するとまた聞きたくなるのだった。
うまく聞き取れないヒソヒソ声を、「何と言っているのだろう」という
負の期待感で追ってしまう。
そんな様子を面白がり、師匠は「これは海の音だよ」と言って夜の海へ
俺を誘ったのだった。

387 海  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2006/12/02(土) 14:23:59 ID:Q8VwWIU/0
知り合いのボートを借りた師匠が、慣れた調子でモーターを操って海へ出た
頃にはすでに陽は落ちきっていた。
フェリーならいざ知らず、こんな小さな船で海上に出たことのなかった俺は
初めから足が竦んでいた。「操縦免許持ってるんですか?」と問う俺に
「登録長3メートル以下なら小型船舶操縦免許はいらない」と嘯いて、師匠は
暗く波立つ海面を滑らせていった。
どれくらい沖に出たのか、師匠はふいにエンジンを止めて、持参していた
テープレコーダーの録音ボタンを押した。
風は凪いでいた。
モーターの回転する音が止むと、あたりは静かになる。いや、しばらくすると
どこからともなく、海の音とでもいうしかないザワザワした音が漂ってきた。
潮に流されるにまかせてボートは波間に揺れている。
船首から顔を出して海中を覗き込んでいると、底知れない黒い水の中に
魚の腹と思しき白いものが時々煌いては消えていった。
師匠は黙ったまま水平線のあたりをじっと見ている。横顔を盗み見ても何を
考えているのかわからない。
微かな風の音が耳を撫でていき、船底から鈍く響いてくるような海鳴りが
どうしようもなく心細く孤独な気分にさせてくれる。
「採れてるんですかね」と言うと、口に指を当てて「シッ」という唇の
動きで返された。
何か聞こえるような気もするが、はっきりとはわからない。
そもそも、海の上でいったい何があのテープのような囁きを発するのか。
俺はじっと耳を澄まして闇の中に腰をおろしていた。

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