師匠シリーズ
先生

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763 先生  後編 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:34:04 ID:4o0HgrnU0
「あなたが始めに洞窟に入った時、不思議な幻を見たわね。赤い着物がヒラヒラしてるのを」
終わってしまったはずの事件のことを急に言われて戸惑ったけれど、なんとか頷く。
「怖い怖いと思う心が生んだはずの幻なのに、まったく関係がない赤い着物の幻なんてどうして見たんだろうと、あなたは思った」
そうだった。どうして赤い着物なんだろうと。でも、結局洞窟の奥には隠れられる場所もなく、誰もいなかったのだから、ただの幻には違いない。
そんな僕に、先生はゆっくりと首を振る。
「この村ではね、若くして死んだ女の子には白い経帷子ではなくて、赤い着物を着せて弔うのよ。その子の嫁入りのために貯めていたお金で、残された親が最後のお祝いをしてあげるの。晴れのない袈なんて、あんまり可哀相だもの。
もっとも今はもうしていない、大昔の風習だけれど。そしてあの洞窟のある山は死者の魂が惑う場所として恐れられていた所なの。即身仏になったお坊さんはそれを鎮めるために入山したと伝えられているそうよ」
なんだか変な気分だ。僕が見たものはただの幻ではなかったのだろうか。
「いいえ。幻よ。もうこの世にはいない。でも、あなたはそれを見る」
先生の目が、吸い込まれそうに深く沈んだような輝きで僕の目を捉える。
「あなたは、誰にも見えない不思議なものを見るのよ。これからもずっと。それはきっとあなたの人生を惑わせる」
唇がゆっくりと動く。滑らかに、妖しく。
「それでもどうか目を閉じないで。晴れの着物を見てもらえて嬉しかった。そんなささやかな思いが、救われないはずの魂を救うことがあるのかも知れない」
僕はゴクリと唾を飲んだ。それから二回頷いた。何故か涙があふれ出てきた。
先生は「さようなら」と言った。
僕も「さよなら」と言った。
ふらふらとしながら教室を出て、廊下を抜け、階段を下り、下駄箱で靴を履く。そして校庭に出て、少し歩いてから振り返る。
二階の教室の窓には先生がいる。出会ったころのままの笑顔で。その隣には千羽鶴が揺れている。千羽にはきっと足りないけれど、たくさん、たくさん揺れている。

764 先生  後編 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:37:14 ID:4o0HgrnU0
先生が手を振る。僕も手を振る。そして、出会ってから一度も先生が学校の外に出ていないことを思い出す。
カンカンと太陽は照りつけているのに、校舎の古ぼけた瓦屋根がやけに色あせて見えた。坂を下りて行くと、だんだん学校が見えなくなる。僕は手を下ろし、畦道を通り、森へ向かう。
鎮守の森はいつになく暗く湿っている。真っ暗で夜そのもののような木のアーチを抜け、黒い土の道を踏みしめる。頭がぼうっとしてくる。気分が悪い。
神社の参道の前を通る。いつもは通り過ぎるだけなのに、何故かふらふらと入ってしまう。ギャギャギャギャギャと鳥の泣き声がどこからともなく響く。
お賽銭箱にポケットに入っていた十円玉を投げ入れる。チリンという音がする。僕は手を合わせる。先生の風邪がよくなりますように。みんなの風邪がよくなりますように。
そして参道を戻る。鳥居の下をくぐる。そう言えば、前に通った時にはくぐらなかったことを思い出す。なにかが頭の中を走りぬける。時間が止まったような気がする。いや、違う。止まっていた時間が今動き出したのだ。
ぐるぐる回る頭を抱えて森を抜け、どうやって帰ったのかよく覚えていないけれど、次に気がついた時はイブキの見える庭に面した部屋の中で、僕は布団に入りびっしょりと汗をかいてウンウン唸っていた。

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