師匠シリーズ
先生

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759 先生  後編 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:25:50 ID:4o0HgrnU0
僕は呆然として説明に聞き入っていた。
「笑っている顔の塗料が古かった時点で、怒っていた方が張り子なのは間違いないわ。そしてその張り子を見て、『どうってことない。こないだと一緒』なんて言ったシゲちゃんがその仕掛けを知っているのも間違いない。
もし春に見たという顔もその時点ですでに張り子だったとしたら、同じ顔を見たことになるタロちゃんの過剰な反応に説明がつかないしね。あとは推理を広げれば簡単だわ」
先生は黒板に点を三つ、カン、カン、カン、と書いた。
「ゆ・え・に、犯人はシゲちゃん。この点三つのマーク∴はもう少し後で習う記号なのよ」
チョークをそっと置いた先生が静かにそう言った。その記号も、チョークを置く指も、眉毛の上に揃えられた髪も、その時の僕にはなにもかもカッコよかった。
見とれる僕に、不思議そうな顔をして先生は首を傾げた。
太陽はゆっくりと高く昇って行き、教室に伸びる陽射しは机や木の床から少しずつ引いて行った。
その後、僕は算数の続きをやった。同じ問題なのに、教えてくれる人が違うだけでこんなにも楽しいなんてなんだかおかしい。
せっせと問題を解く僕のそばで、先生は鶴を折っていた。そしていくつか数がまとまると立ち上がり、窓際に掛けた千羽鶴にまた仲間を増やすのだ。それをずっと繰り返している。
僕はいつかは夏休み学校の子どもたちの風邪が治ってここが二人だけの空間でなくなることも、そして朝が昼になりそれから午後になるように、夏もいつかは終わり、僕がここを去る日がくることも信じたくなかった。
だから、今日が先生に出会って何日目なのか数えたことはなかったし、その毎日はふわふわとした夢の中にいるようだった。
一体いつからほかの子どもたちが風邪を引いているのか、考えたことはなかった。先生の時どき見せるぼんやりしたそしてどこか哀しい表情も、その奥に隠れたもののことも理解しようとはしなかった。
ただひたすら僕は問題を解いた。歴史を知った。夏の中にいた。

「よく出来ました。じゃあ今日はここまで」
先生が僕の答案を見てそう言った。もうお昼過ぎだ。夏休み学校の時間もおしまい。僕は帰り支度をしながら、なんとなく口にした。

761 先生  後編 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:29:24 ID:4o0HgrnU0
「先生。怒ったふり、すっごく上手かった」
本当だった。近づいてきた時、絶対叩かれると思ったのだから。
それを聞いて先生は、あはっと笑った。とても嬉しそうに。
「ありがとう。驚かせてゴメンね。でも迫真の演技じゃないと意味なかったから。錆付いてると思ってたんだけどな。私これでも役者を目指し……」
きゅっ、と口が閉じられた。顔が一瞬強張り、そしてこくんと喉が動いた後、先生は目を伏せたまま声もなく笑った。
風が吹き渡るどこまでも高い空の下で、ほんのひと時僕の前に覗いた先生の夢はゆっくりと閉じられていった。それはどうしようもなく繊細で、綺麗だったけれど、きっといつまでも見続けてはいけないものだったのだろう。
コン、コン。
咳が聞こえた。
どこか遠くから聞こえた気がした。
でも目の前で先生が口を押さえている。とても落ち着いた顔をしていた。
「私も」
ただの咳払いではなかった。少しおいて、先生はまたコン、コン、と咳をした。そしてゆっくりと顔を上げる。
「ゴメン。私も風邪を引いたみたい。うつるといけないから、明日からお休みにしましょう」
そんな。そんなのはいやだ。風邪なんかへっちゃらだ。だから休みなんて言わないで。
そんなことを口走る僕を押しとどめ、先生は目を細めて言う。
「駄目。悪い風邪なのよ。治ったら、きっと世界史の続きを教えてあげるから」
だだをこねる僕に先生は諭すように肩に手を置く。
「今日はあなたも顔色が悪いわ。あなたも少し休んだ方がいいみたい」
そんなことない、そう言って飛び跳ねようとして、グラッと膝が落ちる。だめだ。やっぱり朝から調子悪い。風邪なんかじゃないのに。
悔しかった。もう二度と先生と会えないような気がした。
顔を背け、またコンコンと言ってから先生は僕の目を見る。

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