洒落怖
電車にて

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281 電車にて 7 sage 2011/09/20(火) 02:39:10.74 ID:MpJsRaLP0
「……っ、な ん  だ、こ れ」
本気で怯えると、声を出すのもつらい。途切れ途切れの声は、電車のがたんごとんいう音に勝てなかった。
俺の様子がおかしいと気づき、旦那さんがはじめて、笑みを消して、すっと鋭い眼差しをおくってきた。
「どうか、なさいましたか」
気遣いの心なんて篭ってない声。ぐいっと袖をひっぱる力が強まった。
俺はなげだされるように目の前の会社員の股間に頭突きをするようにして倒れこんだ。
会社員は男性シンボルのガードを辛くも成功させてくれた。
ありがとうと言いたい。もし頭突きでタマ破裂なんてしたなんてことになったら、俺は、会社にいられなかった。
「こ、子供が、見える」
俺がこういったのは、なりふりかまっていられなかったからだ。
アナウンスからもうじき次の駅だと知れた。何かうしろめたいことがあるなら降りると思った。
両手を床について無理やり座席に戻りながら、目の前の会社員の男性が向けてくる怒り顔に、申し訳ありませんと頭を垂れた。

「あなた、この五人の子供に、何したんですか?」

普通なら、頭がおかしい、と思われてもおかしくない言葉だ。
けれど、はっきりと、ありありと、怒気もこめた俺の声に、旦那さんの顔に怯えが浮かんだ。
ごくごくあたりまえの、帰路につく人々を載せた車内。

「な…何を、頭おかしいんじゃ……」
「一人は、赤ちゃん。後の四人はぼやけてる。何って聞きたいのはこっちですよ」
「よ、に? …ひっ……ひァっ!……」
旦那さんが怯えだした。明らかに俺の言った人数に、心当たりがあるようだ。
そのとき、ホームの側のドアが開いた。旦那さんが奥さんを突き飛ばすようにして、二人して降りていった。
俺の目には、旦那さんの体にまとわりついた黒い靄が見えた。どれも、ひっしにママにしがみつこうとしている赤ん坊を、蹴ったり、殴ったりしている。
それで、体を襲っていた変調が止んだ。俺と旦那さんのやりとりを聞ける位置にいた人すべてが、俺を凝視していた。
少なくとも、旦那さんのおびえっぷりが、俺が単なる頭のおかしいやつではないという信ぴょう性を与えていた。

282 電車にて 7 sage 2011/09/20(火) 02:45:07.88 ID:MpJsRaLP0
「あの、子供が見える、とか…聞こえたんですが」
恐る恐る声を発したのは、さっきあやうくタマを潰しかけた会社員さんだ。迷惑をかけておいて事情も言わないのは失礼なのでと前置きをして。
「俺自身信じがたいんですけど。はい。というより、体を引っ張られてて…さっきはすみません」
そういったとたんにおじさんがひっといって一歩後に下がった。
体を引っ張られていたというのが余程、恐ろしかったらしい。
よくある普通の満員電車で、夫婦の片割れが、目の前のくたびれた、どこにでもいるサラリーマンの言葉に怯えて逃げ出した。
そのサラリーマンが、まだ怯えの残る、硬い表情でこんなことを言うのだ。聞く側の立場を慮ってみると、うん、こわいわ。
少なくとも日常の場に、こんな、心霊とかいった、不気味なものは持ちだして欲しくない。俺自身がそうだ。
俺の両隣の席の人が立ち上がって、人をかきわけて離れていった。疲れているだろうに、申し訳ない気持ちで見送った。
「…それは、大変。災難でしたね。で、もう大丈夫なんですか?」
「ああ、あの人が降りたらついていきました」
「…そうですか。おとなり、よろしいですか」
「ええ、どうぞ。気持ち悪くなければ」
「ああ、いや、霊能者さんがそう仰るなら」
「私、ただの一般人ですよ。こんな体験、はじめてです」
「そうなんですか?」
「はい。二度と、御免ですね」
俺は、あの巨漢が今日このばにいてくれなかったことをとても、心細く思った。
その時の心境はこうだ。あいにく俺は掘られたくない。
だが、この霊障からすくうかわりに、手で擦ってくれといわれたなら、間違いなくうんといっていた。
この日、俺はものすごい悪夢に悩まされた。旦那さんが俺にむかって、目撃者は死ねと喚きながら、襲いかかってくる夢だった。
目覚めた時の、なんとも言いがたい気持ち悪さの中で、視界に灰とか黒の靄がかすめたような気がした。
この日から俺は神社仏閣の前を通るときは、常に一礼する癖がついた。それほど怖かったのだ。

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