洒落怖
電車にて

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283 電車にて 9 番号振り間違いごめちゃい 一つ上は8 sage 2011/09/20(火) 02:49:20.31 ID:MpJsRaLP0
5日目。その日は、俺は立っていた。その前日もだ。
前回、あの夫婦を見かけて以来、一度も座席に座っては居ない。
上石神井でドアが開き、降りる人たちに押されてドアの外にはじき出された。
そのすぐ横に、見た顔があった。夫婦の奥さんだ。おれはすぐに周囲を見渡した。あの男だけは勘弁だ。
あの男は、本当に、今更ながらに思うが、不吉な感覚がする。とに
逃げ出すつもりで周りを見渡したが、あの不愉快な顔はなかった。黒い靄も見えない。
「あの、ひょっとして」
奥さんが俺を見上げて、俺がたちまち怯えた表情であたりを見渡したことについてたずねてきた。
彼女は俺のスーツの裾をひいた。俺はそれがあの黒い靄の子供のように感じて、びくっと体を震わせて振り払おうとしてしまった。
それが奥さんの手に寄るものと気づいて、恥ずかしさが募り、赤面してから、すみませんと呟いた。
奥さんは俺にどこに住んでいるのかと尋ねた。
俺は、八坂ですと答えた。奥さんは自分が西武遊園地が最寄りだと言った。
「前にお会いした時のこと、詳しく、教えていただけませんか?お茶くらいしかごちそうできませんが」
奥さんが俺の手を握ってきた。何か違和感を感じたので、それとなく視線を落とした。
左右の手のどちらにも指輪がはまっていない。
そして、彼女の胸元にすがりつくように、赤ん坊の幻影が見えた。
幻影であったほしかった。見た瞬間、ものすごい悲しみが押し寄せてきた。
気づいて、貰えない。抱きしめて、貰えない。呼んで、貰えない。
これが、波長が合うということなのだと気づいた時には、不覚にも涙がこぼれていた。
「あの…」
「わかりました。お付き合いします」

電車にのっている間中、俺は、つとめて平静を装った。
みんなも試して欲しい。奥歯をおもいっきりかみしめて。舌を上顎につけたじょうたいで 口の中から空気を抜くようにする。
舌に圧迫をおぼえるまでだ。眉間より少し上に力がこもるようにして、左右の耳を後ろ方向に動かすと、硬い表情の出来上がりだ。
まちがっても、鼻をふくらませてはいけない。耳を動かす時に鼻が動く人も多いので注意しよう。
これが、私が社会人の啓発セミナー(あぶないところではない)で教えられた、性感さを装う顔つきだ。

286 電車にて 9 番号振り間違いごめちゃい 一つ上は8 sage 2011/09/20(火) 02:57:19.97 ID:MpJsRaLP0
西武遊園地についてから、彼女がタクシーを拾った。
私は、夜の湖を見ていた。奥さんが多摩湖ですと言った。
「夜の湖とは、ミステリアスで、デンジャラスな雰囲気がしますね」
平静を取り戻したあとにやってきたのは、ドキドキだ。奥さんはとても綺麗な方で、そして俺は、Cherry Boy!
仲良い女性がいなかったわけではない。青春の甘酸っぱさを感じた経験がとぼしいのともちがう。だが、すべてが良い友達という評価だった。
甘酸っぱいマイナス甘。酸っぱい思い出とでもいうべきだな。
まったくその気になれない相手から好きだと告げられた事が、幸運であったと気づく年齢に、俺はなっていた。
ここで巨漢の言葉を思い出した。明るくしてりゃ、大丈夫。少なくとも、さっきの悲しみはもうどこにもない。
ついでに、青春の中でやってきていたささやかな幸せを見逃した悲しみも、きっとすぐフライアウェイ。現実逃避というなかれ。

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