洒落怖
逆さの樵面

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しかしその瞬間、集まった人々の間に「おお」という畏怖にも似た響きの声が上がりました。
「決して中へは入ってはなりません」と姑は言い、悪いことは言わないからこのままお引取りを、と囁いたのです。
明かりもなく暗い座敷の奥から、どす黒い妖気のようなものが廊下まで漂ってきていたと、父は言います。
締め切られていた奥座敷の暗がりの中、奥の中央に位置する大きな柱に樵面は掛けられていました。

しかしその顔は天地が逆、つまり逆さまに掛けられているのです。
しかも柱に掛けられていると見えたのは、目が暗がりに慣れてくるとそうではないことに気づきます。
面の両目の部分が釘で打たれ、柱に深く打ち留められていたのです。

「なんということをするのだ」
と古参の舞太夫が姑に詰め寄るも、教育委員会の職員に抑えられました。
「とにかくあれを外します」と職員が言うと、姑は強い口調で「目が潰れてもですか」

843 8/13 sage 2005/12/11(日) 20:24:09 ID:CUnu3Rn40
父は耐え難い悪寒に襲われていました。
姑曰く、あの天地を逆さにして釘を目に打たれた面は、強力な呪いを撒き散らしていると。そしてこの座敷に上がった人間は、ことごとく失明するのだと言うのです。
「バカバカしい」と言って座敷に入ろうとする者はいませんでした。

古い神楽面には力があると、信じているというより、理解しているのです。だからこそ、翁面を小さな行李に入れ、また「1年使わないと表情が変わる」といわれる般若面の手入れを欠かさないのです。
入らずには面を外せない。
入れば失明する。
だからこそ、土谷家ではこの奥座敷の樵面を放置していたわけです。

調度品の類もない畳敷きの座敷は埃と煤で覆われていました。
明治の前よりこのままだと、姑は言いました。
何か方法はないかと考えていた太夫の一人が、
「あんた、向かいの太郎坊に取りに入らせたらよかろう」
と手を打ちました。
「あれはめくらだから」と。
父はなるほど、と思いました。
確かに土谷家の隣家の息子は目が見えない。
彼に面を外させに行かせたらいいのだ。
ところが、姑は暗い顔で首を振ります。
そしてこの樵面の縁起を訥々と語り始めたのです。

844 9/13 sage 2005/12/11(日) 20:25:21 ID:CUnu3Rn40
かつて日野草四郎篤矩によって神楽を伝承された4家は、その後も大いに栄えたと伝えられている。
ところが、姑曰く土谷家はその4家よりも古い神楽を伝えられているという。
日野家と同じ客人(まろうど)であった土谷家こそが、日野家以前にこの千羽に神楽を伝え、千羽神楽の宗家であったのだと。

ところがあらたに入ってきた遠来の神楽にその立場を追われ、山姫などいくつかの演目と面、そして縁起まで奪われてしまったのだと。
そしてこの樵面こそ、土谷家が今はいずことも知れない異郷より携えて来た、祖先伝来の面なのだと。
それを日野家由来とする資料は、ことごとく糊塗されたものだと。
そうした経緯があるためか、4家のみによる神楽舞の伝承が壊れたのちも、土谷家からは舞太夫を出さないという仕来りがあった。

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