洒落怖
逆さの樵面

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山姫の手が樵面へ触れるや否や、面の両目を打っていた釘がぼろぼろと崩れ落ちました。
100年以上も経っているため、腐っていたからでしょうが、父にはそう思えませんでした。
この襖の向こう側は人の領域ではないのだから、何が起こっても不思議ではないと、素直にそう思えたのです。

848 12/13 sage 2005/12/11(日) 20:29:52 ID:CUnu3Rn40
ちょうど舞が終わるころ、黒い樵面を携えて山姫が座敷から出てきました。
「もう舞うことはないと思っていた」
森本弘明老人はそう言って山姫の面を外しました。

『山姫の舞』『火荒神の舞』『萩の舞』
三舞復活縁起のまさにその人が、最後の『樵の舞』の面を取り戻したのです。
父は得体の知れない感情に胸を打たれて、むせび泣いたそうです。

その後、樵面は土谷家ゆかりの神社に祭られることになりました。
演目としては催されることはありませんが、『樵の舞』は土谷家に密かに伝わっていたため、これで失われていた4つの舞が蘇ったわけです。

のちに父は機会があり、森本老人に舞太夫としての心得を聞きました。
森本老人は「素面にあっては人として神に向かい、面を着けては神として人に向かうこと」とだけ教えました。
神そのものに心身が合一すると、はじめて見えてくるものがある。

そう言って笑うのです。
千羽神楽の中で樵は山姫と恋仲にあることが、演目のなかに見えてきます。
しかし山姫などのいくつかの演目は、いにしえの土谷流と日野流ではまったく違うものであったといいます。
現在の土谷家に伝わっていたのは『樵の舞』だけであったため、『山姫の舞』などは日野流と面を同じくこそすれ、一体どんな演目であったのか皆目わからないのです。

850 13/13 sage 2005/12/11(日) 20:31:17 ID:CUnu3Rn40
しかし、森本老人はあの樵面を取り戻した舞の中で、山姫は樵を愛していることが分かったと言います。
「きっと、いにしえの舞でも、山姫と樵は恋仲にあったのだろう」
だからこそ、樵面をあの座敷から出すことができたのではないか、と。
その言葉に父は頷きました。

神楽とは、一方的に与え、一方的に奪う、荒ぶる神との交信の手段なのだと私は思います。
神を饗待し、褒め、時には貶し、集落で生きる弱き者の思いを伝え、またその神の意思を知るために神楽が舞われるのだと思います。
「神」を「自然」と置き換えてもかまいません。
日本の神様は怒りっぽいということを聞いたことがあります。

しかし荒々しい怒りとともに、たいていその怒りを鎮める方法も同時に存在するものです。
たぶん、陰々と千羽を呪い続けた樵面にとって、あの森本老人の山姫の舞がそうであったように。

その出来事のあと、私が生まれる数年前に森本老人の家の戸口に影が立っているのを多くの人が見たそうです。
あの樵面の呪いにより、いわれ無き死人が出るという影です。

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