師匠シリーズ
四つの顔

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603 四つの顔  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/10/11(日) 23:16:33 ID:e4PX3/wx0
もう一度呼びかけながら二人でドアの隙間から中を覗き込む。暗くてよく見えない。
「いるような感じがしませんね」
俺は声を潜めて玄関にソロソロと足を踏み入れる。そして壁際に手を這わせ、電気のスイッチを探り当てた。
眩しさに一瞬顔をしかめながら靴を脱ぐ。
「鍵の掛け忘れですかね」
山下さんの部屋は一人暮らしにしては割と広い。そしてとても綺麗に整理整頓されている。余計な物が全く無く、有る物はすべてきっちりと相応しい向きに並べられている。台所も料理道具が揃っているのに、まるでほとんど使われていないかのようにピカピカだった。
神経質な彼の性格そのままの部屋だ。
テレビの前にあるベッドを見ると掛け布団がほとんど起伏もなく伸ばされている。
生活臭がない。一体いつごろまで彼がこの部屋にいたのかも分からなかった。
「でも二時間半くらい前まではいたはずなんですよね」
机の上のパソコンに目を遣った。近づいて本体のパワーボタンに手を伸ばしかけると「ちょっと、悪いよ」とたしなめられる。
それもそうだ。様子が変だからと訪ねてきたものの、勝手に留守中の部屋の中をいじくって良いはずはない。失踪したわけでもないのに。
そう思った時、ふと頭にその単語が引っ掛かった。失踪? どうしてそんなことを思ったのだろう。パソコンの前に立ったまま床に目を落として考える。
その思考が、一筋の悲鳴にかき消された。
ハッとして振り向くと、洗面所があるらしきドアの向こうから続けざまに短い声が上がる。
「どうしたんです沢田さん」
そちらに足を踏み出しかけると、いつかの山下さんの話が脳裏を過ぎった。
『まだお湯張ってない湯船に、立ってるんだ』
Dが……
ぞわぞわと背筋が冷たくなる。誰だか分からない人物が無表情でドアの向こうに立っているのを勝手に脳がイメージしてしまう。

605 四つの顔  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/10/11(日) 23:20:22 ID:e4PX3/wx0
躊躇しかけて、なんとかそれを振り払うと半分閉まったドアを開け放つ。
沢田さんが小刻みに身体を震わせながら立っている背中が目に入る。その肩越しに、洗面所の鏡があった。
その真ん中が割られていて、放射状に亀裂が伸びている。怯える沢田さんの顔がまるで切り裂かれたように不鮮明に映っていた。
俺も固まりかけたが、嫌な予感がしてすぐさま風呂場の戸に手を掛ける。思い切って開け放つと、ひんやりした空気が顔に当たった。
中には誰もいなかった。湯船の蓋は取られ、お湯も張られていない。
はあ、という声がしてそれが自分の出した安堵のため息だと気付くまで少し時間が掛かった。
「どうして、これ、こんな」
割れた鏡の前で棒立ちになっている沢田さんに「大丈夫です」と無責任な声を掛ける。
他に異常はないかと部屋のすべての場所を確認して回ったが結局なにも見つけられなかった。
他人の部屋で勝手に家捜しをすることに対する引け目をあまり感じなかったのは、あまりに生活感のない空間だったからだろうか。
しばらくして落ち着いた沢田さんに「もう帰りましょう」と言うと、軽く笑って頷いた。
山下さんの携帯は相変わらず通じないし、部屋に帰ってくる様子もなかったが、なにかの事件に巻き込まれたと判断するには材料が乏しすぎる。
割れた鏡は気になったけれど物取りや暴漢に襲われたにしては部屋の中に全く荒らされた形跡がない。
この程度で警察に連絡しては山下さんにとっても迷惑だろうという判断をせざるを得なかった。
ただあれだけ神経質に部屋を整理整頓している人が、どうして割れた鏡をそのままにしているのか、それだけはよく分からない。
『Dが増えている』という書き込みをしてから、山下さんは鍵も掛けずに出て行った。
まるで何かから逃げるように。鏡はその時割れたのか。割ったのは誰?
あれこれ考えているとまた薄気味悪くなってくる。沢田さんにつつかれて我に返ると玄関に向かった。

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