洒落怖
テンポポ様

この怖い話は約 3 分で読めます。

最初はどちらもかなり渋っていて苦労したが、私が当事者だという事と、
成人しているという事で話してもらえることが出来た。

683 本当にあった怖い名無し sage 2011/07/27(水) 18:20:48.64 ID:MtTpUC540

まず初めにお山についてだが、あの山は昔から地元の悪い気の流れが集まる一種の異界なのだそうだ。
鬼が出たとか天狗が出たとか、そういった話には事欠かず、女や子供が立ち入ろうものなら
数日のうちに何かしらの不幸がその侵入者に訪れると言われる程、
土地にしみついた悪意だとか怨念といったものが浄化されることなく溜まっていく。
見るに見かねた当時の村人達はお山を締め縄で封印することにするが、それも対した効果はなく、
あふれ出る邪悪な気は数年~数十年単位で村に干ばつや洪水、飢饉、流行病などの天変地異を引き起こしていたらしい。

そこで考案されたのが、あの奇妙な風習である。

二次性徴直前の肉体的にも生命的にも最も柔軟で充実している少年たちを集め、
9日間を掛けて身を清めることで人ならざる者とし、その中の一人を生け贄としてお山に捧げる。
そうすることで、お山の邪気を祓おうとしたのだ。
実際、効果はあった。
それまでの天変地異は嘘のようになりを潜め、お山に対する畏怖の念は時代の流れと共に希釈されて行った。

684 本当にあった怖い名無し sage 2011/07/27(水) 18:23:28.80 ID:MtTpUC540

一定の期間で少年たちを供物に捧げてしまえば、お山は恐るるに足りないと
ほとんどの村人が思っていた矢先に、村を未曾有の大飢饉が襲うこととなる。
天保4年・西暦1833年のいわゆる天保の大飢饉だ。
当時の江戸幕府すら揺るがしたこの未曽有の飢饉は、例外なく俺の村を襲い、
そして多数の餓死者を出した。

そこで注目されたのが、先の風習だった。

飢饉をお山が起こした物だとすれば、村のしきたりを利用して口減らしをする事は勿論、
供物としてささげた少年の肉を食う事で当面の食糧にもなるという一石二鳥の名案だと喜んだらしい。
今となっては鬼畜の所業だが、きっと当時はそんな事も言ってられない程酷い状況だったのだろう。
こうして、飢饉が治まる天保10年までに述べ50人以上の少年達が供物としてお山に捧げられ、
そしてその少年達の無念さとこの世に対する恨みがお山の邪気と融合して怪物が生まれたのだ。

それこそが、テンポポ様。

685 本当にあった怖い名無し sage 2011/07/27(水) 18:27:27.75 ID:MtTpUC540

飢饉前に供物として捧げられた少年達も合わせると、恐らく100人以上の少年達の怨念の塊であり、
土地の悪意を吸収してさらに成長した怪物。
その怨念を抑えるために、さらに供物として捧げられた少年たちを合わせると、その規模は最早想像も出来ない程の数に上る事だろう。

この怖い話にコメントする

テンポポ様