洒落怖
十九地蔵

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俺は、20人近い影と言う事と、十九地蔵と言う事が頭の中でリンクして、とてつもない嫌
な予感を感じた。

769 十九地蔵 4/4 2009/08/20(木) 01:58:01 ID:pfI/pQWT0

なぜ、両村の仲が、理由もなく悪いのか、これに納得がいったのは、俺が大学院に進学し
た頃である。A村の神社より、ある文献が発見されたのだった。

それは、室町時代後期、A村とB村が××川の水利権を巡り、争いを起こし、A村がB村
との戦いに勝ったと言う内容である。
豊臣秀吉の刀狩りが示している様に、刀狩りされていない時代の農民は、決して後世のイ
メージ通りひ弱な存在ではなく、武装していたのである。兵農分離も進んでおらず、農民
と武士の境目は曖昧である。

だから戦に勝った記憶は大変名誉なこととして、誇らしげに記述されたものだった。
けれども、時代が下って、平和な江戸時代。この様な不穏な文献は、誇らしい記憶から忌
わしい記憶となった。よって、A村の神社へこっそりと隠されたのである。

この文献は中世史を語る上でも重要な文献らしく(つまり農民=弱者というマルクス主義史
観を覆すと言う意味でね)、地方紙ではニュースになったし、大学から学者がかなり来た。

その内容から一部要約して抜粋すると以下の通り。

「A村とB村が××川の水利権を巡り争った。A村が奇襲をかけることにより、戦に勝ち
権利を治めた。
A村の戦での被害は軽微であり、軽傷者5名。
B村の物を16名打倒した。また戦の巻き添えに女2名、子供1名が死んだ。
計19名の内には、B村庄屋であり××神社宮司を務める●●家当主、宗衛門義直を含む。」

十九地蔵が呪うと言うのは、じいさんの勘違いだった。十九地蔵はこの時の死者を弔うた
め、B村で建てられたものだった。
けれども、地蔵にさえ癒し得ない、抑えきれないほどの、深い深い、A村への恨みが、まだ
この地には残っていたのである。

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