師匠シリーズ
家鳴り

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507 家鳴り  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/01/28(日) 12:41:16 ID:STrJj++Q0
視線の端の境界面に、白いもやのような、揺れる人影のようなものが通り過
ぎては、瞬くように消えていくような錯覚があり、俺は目を閉じる。師匠も
なにも言わない。
ただタイヤがアスファルトを擦る音と、そのたびに体を左右に引っ張られる
感覚だけが続いた。
やがて「ついた」という声とともに車が止まり、促されて外に降りる。
山間の一軒屋という趣の黒い影が目の前に立っている。少し斜面を降りたあ
たりに別の家の明かりがある。しかし少なくとも半径20メートル以内には
人の気配はない。取り残された家、という言葉がふいに浮かび、ますますそ
の不気味さが増した気がした。
「家賃は1万1000円」
と言いながら玄関の前に立ち、師匠はライオンの顔の形をしたノッカーをさも
当然のように叩く。鈍い金属音がした。中からは何のいらえもない。その音
の余韻が消えるまで待ってから「冗談だよ」と言って、師匠は鍵を回しその
洋風のドアを開けた。
平屋でかなり古びているとはいえ、まともな一軒屋である。家賃1万1000円
というのは、どんなツテで借りたのか非常に興味があったが、なんとなく
答えてくれそうにない気がして黙っていた。
家の近くに街灯の類もなく、ほとんど真っ暗闇だったのが、家の中に入ると
当然明かりが点くだろうと思っていた。ところが玄関から奥へ消えた師匠が
ゴソゴソとなにかを動かしている音だけがしていたかと思うと、淡いランプ
の光がゆらゆらと人魂のように現れた。
「電気きてないから」
ランプを持った師匠らしき人影が、ほこりっぽい廊下を案内する。
スリッパを履いて、軋む板張りの床を足音を殺しながら半ば手探りで追いか
ける俺は「ほんとに借りてるのかこの人。不法侵入じゃないのか」というあ
らぬ疑念にとらわれていた。
リヴィングだ、という声がしてランプが部屋の中央のテーブルらしきものの
上に置かれる。
暗い室内を探索する気力もない俺は、素直にランプのそばのソファに腰掛けた。
もとは質のいいものなのかもしれないが、今は空気が抜けたようにガサガサ
して、座り心地というものはない。

508 家鳴り  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/01/28(日) 12:43:39 ID:STrJj++Q0
師匠も同じように向かいのソファに座り、ランプのかぼそげな明かりを挟ん
で向かい合った。
さっきまで寝苦しかったというのに、ここは空気は冷たい。
恐る恐る周囲を見回すと、四方の壁にミクロネシアだかポリネシアだかの
原住民を思わせる黒い仮面が掛かっている。
ほかにも幽霊画と思しき掛け軸や、何かが一面に書かれた扇などが法則性も
なく壁にちりばめられていた。
「ここが隠れ家ですか」
師匠は静かに頷く。
「どうしてわざわざ夜まで待ったんです」
ふーっと、深い溜息をついてから壁の一点を見つめて、師匠は口を開いた。
「この時間が、好きなんだ」
視線の先には、大きな柱時計が暗い影を落としていた。
ランプの淡い光に浮かび上がるように、文字盤がかろうじて読める。
長針は2時半のあたりをさしていた。
ガラス張りになっている下半分に、振り子が見える。
しかしそれは動いておらず、この時計がもはや機能していないことを示して
いた。
腕時計を確認するが、ちょうどそのくらいの時間だ。振り子が止まっている
だけで、もしかして時計自体は壊れていはいないのだろうか、と思っていると
師匠が言葉を継いだ。
「その腕時計は進んでるか? 遅れているか?」
振られて、また自分の腕時計に目を落とすが、はたしてどうだっただろう。
たしか1、2分進んでた気がするが。
「どんな精密な時計でも、完璧に正確な時間をさしつづけることはできない。
 100億分の1秒なんていう単位ではまるで誤差がないように見えたとし
 ても、その100億分の1では? さらにその100億分の1では? さら
 にその100億の100億乗分の1では?」
ランプの明かりがかすかな気流に揺れているような錯覚に、俺は師匠の顔を
見ながら目を擦る。

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