洒落怖
餓鬼道

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890 本当にあった怖い名無し sage 2009/10/12(月) 17:04:54 ID:rPcsvBcf0
江戸の大飢饉…… ~この世に現出された凄惨な飢餓地獄を見る~
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_e.html

 天明の飢饉(1781~89)は、有史以来の大量死を記録した悲惨な飢饉である。
長期間にわたって全国で天候の不順や天変地異が続いた天明間は、天変地妖の時代とも言われ、
人々の間では ▲この世の終わりかと騒ぎ立てるほどだった。 特に東北地方では、やませ
(冷たい風)による冷害で壊滅的被害を受けおびただしい餓死者を出した。
天明3年(1783年)には浅間山が大爆発を起こし、火砕流によって、ふもとにあった村を焼き尽くし
多くの人々が犠牲になった。 ▲3か月間続いた噴火は大量の火山弾や火山灰を吹き上げ、
東北地方の冷害に追い討ちをかけ大凶作に拍車をかけたのである。

 江戸でも大風のため大火災が続発し、特に丙午(ひのえうま)であった天明6年(1786年)には、
3月には箱根山が噴火し地震が相次いだ。  4月になると長雨と冷気によって稲作に
悪影響を及ぼした。 7月には大洪水が起こり家々を押し流し、あたり一面海のように変わり果てた。
水害は、江戸だけでなく関八州に及ぶほどの広範で、あらゆる河川が氾濫したとある。
この現象は全国的規模で起こり、各地の田作に大被害を与えたのであった。

 この飢饉の様子を記録した「後見草」(のちみぐさ)によると、津軽地方が特にひどく、日々に2千人前後の
流民が発生し、他領に逃散していったが、そこでも一飯もない状態ですべて餓死に追い込まれた。
ここでは、先に死んだ人間の屍体から肉を切り取って食べる者もあらわれ、
人肉を犬の肉と称して売る者もいたという。

891 本当にあった怖い名無し sage 2009/10/12(月) 17:06:23 ID:rPcsvBcf0
 おまけに、疫病がまん延して、田畑は荒れ果て原野のようになり、そこら中、腐乱した白骨死体が
道ばたに積み上げられる惨状であった。 この有り様を中世で限り無く続いた戦での死者と言えども、
このたびの飢饉の餓死者に比べたら大海の一滴に過ぎないと評しているほどだ。

ある説では200万以上の人間が、この飢饉によって餓死したとも述べられており、戦乱や他の
自然災害を含めても、有史以来の未曾有の大量死であったと考えられている。

 「天明卯辰簗」(てんめいうたてやな)という飢饉の様子を記録した書は、飢餓下における人間の
身の毛もよだつ恐ろしい話を残している。
・・・この頃になると、人を殺して食うことも珍しくなくなった。 村人の一人が墓を掘り起こして
人肉を食べたのがきっかけで、ついには人肉を得るための殺人があちこちで起こっているのだ。
ある一家が、人を殺して食べたという罪で処刑されたが、この家を捜索してみると恐怖の真実が
明らかとなった。 大量の骸骨が散らばり、桶には塩づけにした人肉が山盛り保存されていたのである。

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