洒落怖
シャム双生児

この怖い話は約 3 分で読めます。

私が知っている死ぬ程洒落にならない怖い話です。 
長いので、いくつかに分けますが、出来れば全部は、書きたくないのですが・・・・・

結合双生児って知ってます?
一卵性双生児で、ごく稀に卵子の分裂が不完全な状態で成長し、体が結合したまま出生される事があり、この出生形態の双生児は結合双生児(シャム双生児)と言われます。
シャムとはSiamで、昔、タイのSiam王朝と関係があります。 
というのは、タイを中心に、なぜか、この地域には結合双生児が生まれる確率が高かったのです。 また、つい最近まで、タイでは、分離手術の技術も無く(ベドちゃん、ドクちゃんは日本で分離手術を
しましたよね)、結合されたまま、大人に成長するという例もしばしばありました。

1950年頃、バンコクで、腹部結合の、女の子の結合双生児が生まれ、ピムとプロイという名前が付けられました。

向かって、ピムが右側、プロイが左側で、腹部、および内臓器官の一部が結合しているだけ状態で、その他、四肢などは全く正常の状態でした。 
一卵性双生児なので、赤ちゃん、幼児期は、見事にそっくりな顔つきで、かわいい女の子でした。 普通に生まれてくれば、二人とも、本当に幸せな人生を送るはずでしたが、神様のいたずらで、結合したまま、大きな試練を背負わされて、この世に送り出されたのです。

二人は仲がよく、いつも笑っていました。
歩けるようになると、互いに助け合って、歩き始め、ハンディを背負わされたという意識など全く無く、すくすくと育ってゆきました。 母親は、結合双生児を生んだこと、ハンディを背負わしたことに、常に苛まれていましたが、仲のよい二人を見ると、本当に救われたと思いました。

タイ社会では、結合双生児がしばしばありましたが、社会では、やはり好奇の目で、見ることが多かったのです。 特に、子供社会は残酷で、学校に行き始めるようになると、化け物、四つ足などと、子供にからかわれることが多くなりました。

赤ちゃんの頃は、全く同じように見えた一卵性双生児でしたが、成長するに従って、性格・体力にわずかな差が出てきました。 左のピムは、明るくて健康でしたが、右のプロイは、少し暗い性格で、体も弱かったのです。 苛められた時は、プロイは泣き出してしまいましたが、ピムが励まし、私たちは、仲良しだから、何時までもずっと一緒にいようねといっていました。 プロイが風邪を引いて、苦い薬を飲むのを嫌がっている時は、ピムが自分の口に、薬のスプーンを持っていって、苦い薬を飲んであげました。 母親は、そんなピムをいとおしく思い、医者へは、できれば、今のうちに切断手術をして、ピムだけでも、生かして欲しいと話をしていました。 しかし、ピムは、切断手術をうけいれませんでした。 
今、切断すれば、プロイが犠牲になることをうすうす感づいていたのです。
ピムは、プロイに約束しました。 ずっと一緒だよ、死ぬまで一緒だよって。

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