田舎・地方の習慣
私も、いつか

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119 6/17 2011/06/02(木) 00:36:31.78 ID:+XA56KO70
いくら村が貧しいとはいえ墓が少ない。
この1、2年に家族を亡くした村人にお経をあげてやりましたが、
その亡くなったというのはみな子供や青年でした。
お坊さんが村人にそのことを尋ねると、この村では還暦を過ぎたり
不治の病を得たり、身に障りを持って産まれたものがあると
岬から身を投げ海に命を返す風習があることがわかりました。
そういった者には墓がなく、弔いの行事もないために
村には神社や寺もないのでした。
墓は突如の病気や事故で死んだ者だけに作られるものであり、
遺体を埋葬したという目印のためだけに、ただそこにあるのでした。

120 7/17 2011/06/02(木) 00:39:16.89 ID:+XA56KO70
お坊さんはそれを聞き、あることを決断しました。
村人にお願いし、近くにある大きな村の住職を呼ばせました。
住職に自分の身分を明かし、寺の鐘を岬まで運ばせるよう言いました。
鐘をさかさまにして地面に埋めさせ、その上に舞台を作り、
舞台を覆うお堂を建てさせました。
住職には非常に高価な香木でできた数珠を与え工事の代金としました。
「村の慣わしには口を出さぬ。しかしせめてもの恩返しに、
 私はこの村の人々を死の恐れから解き放つ」
住職に儀式の作法を伝え終えたお坊さんは鐘の中に入りました。
鐘の上には床板がかぶせられ、お堂の扉は閉められました。

121 8/17 2011/06/02(木) 00:41:32.84 ID:+XA56KO70
現代。

私の祖母が肺を病んで酸素ボンベを手放せなくなりました。
喉が渇き、声も思うように出せず、なにより息をするたびに胸が
「ひゅー」と音を出し鈍い痛みがありました。
ある夕飯のときに「もうよろしいか」と祖母がつぶやきました。
祖父は「そうだな。」と答えました。
祖母は世話になった人にたくさんの手紙を書きました。
身の回りの整理が終わると、持っているすべての着物を裂いて
太く長い縄を作りました。自分、弟、父、叔父、伯母という
直接の血のつながりのある家族も1枚ずつ身に着けるものを持ち寄り、
縄にないました。

122 9/17 2011/06/02(木) 00:43:58.92 ID:+XA56KO70
その日、祖母は縄にせず残した晴れ着を着ていました。
家族みんなで車に乗り岬にあるお堂に向かいました。
途中、お世話になった病院に寄って酸素ボンベを返却しました。
「お世話になりました」
祖母は先生に頭を下げました。
先生はボンベを受け取る時に短く何度も頷きました。
「今日ですか?」
「ええ。それでは。」
祖母はもう一度頭を下げました。

127 10/17 2011/06/02(木) 00:48:50.35 ID:nSHWcPHv0
お堂に着くと祖父が鍵を取り出して扉を開きました。
中には1メートルほどの高さのお神楽の舞台のような場所がありました。
階段になっているところがあり、皆でそこから舞台に登りました。
祖母は縄を体に巻き始めました。たすき掛けをし、帯の下をくぐらせ
またたすき掛けをし、母に端を渡しました。
「いろいろとありがとうね」
「こっちこそね。おばあちゃん、元気で」
母と伯母はお堂の外に出て扉を閉めました。
お堂の天井からすぐ下のあたりは格子状になっていて
光が差し込むのですが、それでも扉が閉まると
やっと互いの顔の見分けがつくほどに暗くなりました。

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