師匠シリーズ
トイレ

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165 トイレ ラスト  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/06/29(日) 00:04:58 ID:quV+YcYD0
さっきとは違う。右と、左では明らかな違いがある。どうしてこんなことに気がつ
かなかったのか。
心臓は痛いくらい収縮して、針のような寒気を全身に張り巡らせていく。
今、僕の目の前には壁がない。右耳を排水溝にくっつけた時にはあった、あの白い
無機質な壁が、今はない。
左耳で聞こうとしている僕の目の前には今、洗面台の基部と床との間にできたわず
かな隙間がある。モップさえ入りそうもないその隙間の奥、光の届かない暗闇から、
誰かの瞳が覗いている。
暗く輝く眼球が、確かにこちらを見ている。
……ボソ……ボソ……ボソ……
左耳が囁きを捉える。地面の奥底から這い上がってくるような声を。
僕はその小さな声が、言葉を結ぶ前に跳ね起きてドアを開け、外に転がり出た。ド
アから出る瞬間、視線の端に洗面台の鏡が見えた。顔のない僕。あれは本当に僕な
のか。
振り返りもせずに駆け出す。角を何度か曲がる。
フロアに出た時、騒々しい、デパート特有の様々な音が耳に飛び込んで来た。冷た
い汗が胸元に滑り込んでいく。今見たものが脳裏に焼きついて離れない。僕は壁際
のベンチの横で、寒気のする安堵を覚えていた。たぶん、床の隙間のあの眼を見て
しまった後、あの個室から逃げ出すまでの間に、一瞬でも『このドアは開かないん
じゃないか』と思ってしまっていたら、きっとあのドアは開かなかったんじゃない
かという、薄気味の悪い想像。
そんな想像が沸いてくるのを、止められなかった。

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