中国・朝鮮
ポルポト派の狂気

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実際に何とかこの虐殺を報道するまでに至ったこともあったが、
自国民をそこまで意味もなく虐殺するなどあり得ないと判断されたのだ。
国家にとって何の利益ももたらさないではないか、と。

だから誰も信じなかったというわけだ。
しかし虐殺疑惑の波紋は止め様もなく、取材の依頼が殺到した。
拒否し続けて国連の視察団が来れば致命的と判断したポルポトは限定地域、限定期間での取材を承諾した。
そこでは裏工作がなされ、平和な村を装ったので事実は隠蔽された。
疑問を解消できなかったジャーナリストの一部は果敢に独自の取材を展開したが、そのほとんどは行方不明になった。
まず間違いなくポルポトの命で殺されたのであろう。

93 コピペ隊新人 2005/08/15(月) 19:45:57 ID:+tAymFrY0
28 名前: 本当にあった怖い名無し 投稿日: 2005/03/23(水) 03:36:25 ID:nUBNjmPo0
ポルポトによる狂気は1979年のベトナム軍の侵攻をもって、公式の上では終わりを告げた。
そこでベトナム軍の兵士たちは戦慄に震えた。
実はベトナムの情報筋も、クメール・ルージュによる虐殺の噂は尾ひれのついたものであろうとたかをくくっていた。
だが、蓋を開けたときに見たものは、噂を遥かに超える『事実』だったのだから。
ポルポト軍はタイ国境のジャングルへ逃げ落ちた。

ポルポトは逃げる前に軍人以外の民衆800万人を殺そうとした。
未然に防げたからいいようなものの、もし実行されていれば生き残ったのは軍人5万人と逃げていたカンボジア人5万人。
わずか10万人ではもはや国家とは呼べない。

カンボジア解放後、残った国民の85%が14歳以下の子供であった。

これらの出来事が起こってからまだ30年弱。
決して遠い昔の話ではない。
つい最近に現実にあった悪夢。
これがクメール・ルージュ、そして純朴なる共産主義者・ポルポトの夢見た『理想』のなれの果てなのだ。

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