中国・朝鮮
ポルポト派の狂気

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よってアメリカは経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。
そしてカンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。
ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。

この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。
そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。

「世界の警察」は随分身勝手なことをする。
むしろいない方がいいのでは?
ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないのでアメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。

カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。
それと同時にロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。
亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。
賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。

そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことでクメールルージュは多数の志願兵を得た。

ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。

そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒しカンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまではポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。

ここまでは。

87 コピペ隊新人 2005/08/15(月) 19:41:36 ID:+tAymFrY0
24 名前: 本当にあった怖い名無し 投稿日: 2005/03/23(水) 03:18:08 ID:nUBNjmPo0
ポル・ポト率いる解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで強制的に地方の農村部に移すということを開始した。
逆らう者は容赦なく殺した。次々と殺した。

同様の行いが大小含む全ての都市でなされた。
これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人はほとんどいなかった。
そして国内を「平定」した後は以下の政策を迅速に施行した。
・私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止・全ての教育機関の廃止と書物の焼却・仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止(関係者は全て殺された)

・都市市民の農村部への強制移住
・家族概念の解体。2~5歳以上の子供は全て親から隔離
・自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚
異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。
投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。
徹底していると普通は思うだろう。

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