師匠シリーズ
携帯電話

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253 携帯電話 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/06/07(日) 00:42:09 ID:PyPRRLYk0
照明のついていないトイレの薄暗い壁に声が反響する。
学部等の中でも研究室の並ぶ階はいつも閑散としていて、昼間でも薄気味悪い雰囲気だ。
「その、安本さんの誕生日はいつなんです」
恐る恐る訊いた。
吉田さんは手を洗ったあと、蛇口をキュッと締めて小さな声で言った。
「二ヶ月以上前」
俺はその言葉を口の中で繰り返し、それが持つ意味を考える。
「なんでだろうなぁ」と呟きながらトイレを出る先輩に続いて、俺も歩き出す。
考えても分からなかった。
研究室に戻ると先輩二人がテーブルにもたれてだらしない格好をしている。
「結局、芝コン、時間どうする?」
片方の先輩が俯いたまま言う。
「七時とかでいいんじゃない」ともう一人が返した時だった。
室内にくぐもったような電子音が響いた。
「あ、携帯。誰」
思わず自分のポケットを探っていると、吉田さんが「俺のっぽい」と言って壁際に置いてあったリュックサックを開けた。
音が大きくなる。
すぐ電話に出る様子だったのに、携帯のディスプレイを見つめたまま吉田さんは固まった。
「え?」
絶句したあと、「ヤスモトだ……」と抑揚のない声で呟いてから携帯を耳にあてる。「もしもし」と普通に応答したあと、少し置いて、
「誰だ、お前」
吉田さんは強い口調で言った。そして反応を待ったが、向こうからは何も言ってこないようだった。

254 携帯電話 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/06/07(日) 00:44:52 ID:PyPRRLYk0
「黙ってないで何か言えよ。誰かイタズラしてんのかよ。おい」
吉田さんは泣きそうな声になってそんな言葉を繰り返した。
その声だけが研究室の壁に、天井に反響する。
俺は傍らで固唾を飲んで見守ることしかできない。
「どこから掛けてるんだ?」
そう言ったあと、吉田さんは「シッ」と人差し指を口にあて、こちらをチラリと見た。自然、物音を立てないようにみんな動きを止めた。
耳に携帯を押し当て、目が伏せられたままゆっくりと動く。
「……木の下に、いるのか?」
震える声でそう言ったあと、吉田さんは携帯に向って「もしもし、もしもし」と繰り返した。
切れたらしい。
急に静かになる。
呆然と立ち尽くす吉田さんに、別の先輩が腫れ物に触るように話しかける。
「誰だったんだ?」
「……分かんねぇ。なにも喋らなかった」
そう言ったあと、血の気の引いたような顔をして吉田さんはリュックサックを担ぐと「帰る」と呟いて研究室を出て行った。
その背中を見送ったあと、先輩の一人がぼそりと「あいつ、大丈夫かな」と言った。

俺の話をじっと聞いていた師匠が「それで?」と目で訴えた。
俺もトレーの上の皿をすべて空にして、じっくりと生ぬるいお茶を飲んでいる。
「それで、終わりですよ。あれから吉田さんには会ってません」
師匠は二、三度首を左右に振ったあと、変な笑顔を浮かべた。
「それで、どう思った?」
「どうって、……わかりません」

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