師匠シリーズ
携帯電話

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259 携帯電話 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/06/07(日) 00:52:52 ID:PyPRRLYk0
俺もすっかり醒めてしまい、あんなに薄気味の悪かった出来事が酷く滑稽なものとしてしか脳裏に再生されなくなった。
吉田さんがその時すでに死んでいたはずの安本さんと電話で話をしたという一件も、なんだか日付の勘違いかなにかで片が付きそうな気がしてきた。
空調の効いた学食でもう少し涼んでいこうと思って、レシートに表示されているの総カロリー量をぼんやり眺めていると、窓の外に目をやっていた師匠が乱暴にお茶のコップをテーブルに置いた音がした。
見る見る顔が険しくなっていく。
「そんな……」
ぼそりと言って、眼球が何かを思案するようにゆるゆると動く。
俺はなにがあったのかさっぱり分からず、じっとその様子を見ていた。
「おかしいぞ」
「なにがですか」
「さっきの話だ」
ドキッとした。まだなにかあるのか。もう終わった話のはずなのに。
「勘違いをしていたかも知れない」
師匠はタン、タン、と人差し指の爪でテーブルを叩きながら眉間に皺を寄せた。
「その吉田先輩は、研究室にいるときに掛かってきた『安本氏』からの無言電話に、どこから掛けてきているのか問いただしたあと、なんて言った?」
「え? ……だから、『木の下にいるのか』って」
「それはどういう意味だ」
「さあ。そのあと本人、すぐ帰っちゃいましたから」
師匠は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。
「その、吉田先輩は、相手はなにも喋らなかったと言ったな? ということは、言葉以外のなんらかの情報でそう思ったわけだ」
目を開けて、少し顔を俯ける。

264 携帯電話 ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/06/07(日) 00:59:33 ID:PyPRRLYk0
「安本氏の死因はバイク事故。ガードレールを乗り越えて谷に転落して死んだって話だな。そこから例えば霊魂が木の下にいるというような連想が湧くだろうか。いや、どうもしっくりこないな。
ということはやはり、あの電話の最中になにか情報を得たということだ。言葉でなければ音だ」
音? 師匠がどうしてそんな所に拘るのか分からず、首を捻る。
「そうだ。音だ。背後の音。例えばダンプカーのバックする警告音、パチンコ屋の騒々しさ、クリアなステレオの音…… どこから電話しているのかある程度分かってしまうことがあるだろう」
「それはまあ、ありますよね」
「じゃあ、木の下の音って、なんだと思う」
言われて、想像してみる。木の下の音? なんだろう。木の葉が風に揺れる音? それだけ聞かされても、分かるものだろうか。
師匠は笑うと、口元に指を立て、目を閉じた。静かにして、耳を澄ませ、と暗に言っているらしい。
目を開けたまま、周囲の音に神経を集中する。ざわざわした学食の中の雑音が大きくなる。
それでもじっと聞き耳を立てているとそれらがだんだんと遠くへ離れていき、逆に俺の耳は遠くの控えめな音を拾い始めた。
……じわじわじわじわじわじわじわじわ……
テーブルの向かいにいる師匠の姿が遠く、小さくなっていく錯覚に襲われる。
「蝉ですね」
師匠は目を開けて、頷いた。
「この声だけはすぐにそれと分かる。こうして窓を閉めた建物の二階でも聞こえるけど、実際木の下に行けば、凄い音量だ。木の下に限らず、木のそばでもいいけど、そこはただ単に言葉の選択の問題だな。
ともかく、吉田先輩はその蝉の声から相手が今どこにいるのかを連想したわけだ。ところが、だ」
師匠は急に立ち上がった。

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