師匠シリーズ
依頼

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888 依頼 ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2009/06/06(土) 23:49:39 ID:+FnIW24p0
「オバケ」はそうした不可解なケースの符牒だ。
「それでも、こんな貧乏事務所には仕事を回してもらえるだけでもありがたい話だ」
「でも最近全然お声が掛らなかったんだけど」
師匠が不服そうに言う。
それで得られるバイト代をあてにしていたから、あの無残な生活費の困窮があったのか。
「ボクとしては、普通の依頼ばかりで安心してたがね。そんな依頼ばかりになったら看板を下ろすよ」
それで、事務所を譲って引退だ。
そう言って、師匠を指さす。
師匠は気のないそぶりで三人のカップを持って、流しのあるらしい隣の部屋へ消えていった。
電話が鳴る。
小川さんが自分のデスクに回って取る。
他のデスクの電話機は鳴っていなかった。ただの飾りらしい。他のデスクにしても所員が所長一人ではいらないだろうに。依頼人の前で見栄を張りたいのだろうか。
小川さんは電話の相手に随分へりくだった口調で応対し、ペコペコ謝るようにして電話を切った。
そして僕の視線に気づいて、声を出さずに唇をゆっくりと動かす。
ヤ・ク・ザ
その三文字に見えた。からかわれているのかも知れない。
「依頼人は?」
戻ってきた師匠に訊かれ、小川さんは腕時計を見る。
「もうそろそろ約束の時間だ」
師匠が小川さんのヨレヨレのネクタイを指さし、直させる。

889 依頼 ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2009/06/06(土) 23:52:38 ID:+FnIW24p0
それから十分ほどして事務所のドアが開いた。
「タカヤ総合リサーチから言われて来たんだけど」
とその女性は言った。
その瞬間だ。
ドアと彼女の足元の隙間から、何か小さいものが滑り込むように入ってくるのが見えた。
野良猫だ。
そう思って訪問者そっちのけで部屋の隅をキョロキョロしていたが、どこに隠れたのか見つからない。
「どうぞ」と小川さんは来客用の椅子を示し、師匠に目配せして二人でその向かいの椅子に座る。
僕は空いているデスクで仕事をするふりをしながら、横目でその様子を見ていた。
「どうしてこんな所まで足を運ばなくてはならなかったか、説明して」
依頼内容を口にする前に、女性は苛立った口調でそう言った。
小川さんが「依頼内容によっては動ける人員がたまたまいないということもありますし」と、彼女がここに来るまでに断られたであろう別の興信所の弁解を、低姿勢で繰り返す。
ヨコヤマ、と名乗ったその依頼人は「もういい」と吐き捨てるように言って、膝に抱いていた自分の鞄を探りはじめた。
僕は依頼人の横顔に何か言葉にしにくい異様さを感じていた。
三十代半ばのように見える彼女は、身につけている服こそ当たり障りのない地味な印象のスーツだったが、その化粧気の薄い顔は嫌に青白く、勘気の強さを際立たせているようだった。
そして何より、後ろで束ねた髪の毛の一部が一筋だけ顔に垂れて、それが頬に張り付いているのが彼女の異常さを物語っていた。

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