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小さい頃俺は桜新町という町の五階建てのマンションに住んでいた。
玄関扉をあけて中に入るとこじんまりとしたエントランスがあり。
その奥のはリビングが広がる。
入って左を向いて数歩の距離の左側にはキッチンがあった。
そして真正面には扉だ。その扉の向こうは廊下に繋がっていた。
廊下にでてすぐ右が母の八畳ほどの和室でゴミ屋敷状態だった。
正面にはトイレ。トイレのすぐとなりにはバスルーム。
廊下を左にすすんでいくと途中でキッチンと繋がっていて。
キッチンに入って左手が洗濯機と乾燥機の置き場となっている。
またそのすぐ正面には裏口があった。
廊下のつきあたりの左手と、真正面に扉があり。
それぞれ八畳ほどの洋室となっていた。
左側は俺の部屋。そして真正面の部屋は不在の父の部屋だ。
父は、海外勤務の多く家をあけていた。
母は怒り出すとすぐに包丁を手にして暴れまわった。
私は
216 本当にあった怖い名無し sage 2010/05/26(水) 13:35:16 ID:0O5KXTl80
ぼくはたいていリビングにいた。
母が怒り出すと必ずキッチンにひっこんだ。
ぼくは必ず廊下に逃げた
けれども廊下はキッチンともつながっている。
何度もつかまって首筋につきつけられる包丁にむせび泣いた。
217 本当にあった怖い名無し sage 2010/05/26(水) 13:35:56 ID:0O5KXTl80
命乞いをした。
そういう場面は週に三日はあった。
218 本当にあった怖い名無し sage 2010/05/26(水) 13:38:49 ID:0O5KXTl80
刺されていたら俺はここにいない。
だから無事だったことをみんなには喜んで欲しい。
けれども、あるときは首を絞められた。
圧搾紺が青黒く首筋にうかんだ。
母はそんなわたしにタートルネックのシャツを着せて学校にいかせた。
ああ。嘘だとおもうだろう。俺の母もそれは嘘だといった。
けれどな、ちゃんと学校に確認したんだよ。
俺が首筋に怪我をしたからって理由でワイシャツの下にタートルネックを着込む許可を母はとっていた。
その記録が残っていたよ。
てめえでやりやがったくいせに
219 本当にあった怖い名無し sage 2010/05/26(水) 13:41:37 ID:0O5KXTl80
母は常に教育だといっていた。
他所のうちでももっと厳しいと言っていた。
私は、信じるより他なかった。
しかしあるとき、A君という子の家にいったとき
私は違うんだという事実に気がついた。
彼は早熟な子で反抗期が早かったんだとおもう。
面倒見の良いお母さんが私達のためにお茶菓子を用意してくれたときでも
照れつつも言葉を荒げて、はいってくんなよババア、といった。
一方的に怒鳴りつけられるばかりが教育だと思っていた私には衝撃だった。
厨房かよ