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ドラキュラ

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235 本当にあった怖い名無し sage 2013/02/12(火) 08:56:05.80 ID:EftgH6kb0
ワラキアの首都トルゴビシテに辿り着いたトルコ軍だったが、首都はすでに焦土戦術により至る所から黒煙が立ち込めていた。
城門は開け放たれており、財宝らしきものはすでに運び去られていた。
市内には誰一人おらず、家畜の姿もなく、おまけに井戸と言う井戸には毒物が投入されていたのである。
先日のワラキア軍の凄まじい夜襲の恐怖も覚めやらない中、何万という捕虜を一人残さず串刺しにしてしまう
ブラドの変質的とも言える凶悪で残忍な行いを見せつけられたオスマン軍の兵士たちは、すっかり戦意を失ってしまっていた。
その上、市内で黒死病が発生したというデマも手伝い、メフメトは急遽全軍をまとめて撤退することにした。
これ以後、トルコ人たちはブラド3世のことを串刺し王と呼び極端に恐れるようになったという。
僅かな兵力でオスマン帝国の大軍を撤退させたワラキア公国のブラド3世は西ヨーロッパを救った君主として絶賛されることになった。
もしもワラキア公国がオスマン帝国の侵入を許すことになれば、西ヨーロッパのローマ教会などキリスト教国全体が深刻な危機に陥っていたであろう。

こうしてオスマン帝国の侵攻を食い止めたブラドだったが、首都のトルゴビシテは焦土戦術により廃虚同然になってしまい、
トランシルバニアに落ち延びた後、再びワラキアに戻ってこられるのは12年もたってからであった。
そして帰国後、一ヶ月も経たない内に暗殺されてしまう運命にあった。
彼はその生涯で実に十万人以上の人間を串刺しにして殺したと言われている。

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