師匠シリーズ

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790 木 (789も木です。すみません ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:23:37 ID:4o0HgrnU0
「キリンです」
「そうだね」
師匠はキリンをつついて転ばせた。
鏡の中のキリンも倒れる。
なにがしたいんだろう。
師匠がイタズラを隠しているような表情で俺の肩を叩き、ちょっとずれろ、というジェスチャーをするので、腰を浮かして座っている場所を変えた。
鏡の正面から五十センチくらい右に移動したことになる。
「どうだ、なにが映ってる」
鏡に向かうと、斜めから見ることになるので当然映っている景色が変わっている。
「ゾウです」
いつのまに置いたのか、左手の方にゾウの人形が立っていてそれが鏡の中に映っている。
「じゃあもっとこっち」
師匠はさらに俺の座る位置を右にスライドさせた。
「なにが映ってる」
今度はかなり鏡面の角度がきつくなり、見にくくなっているが、ワニが映っているのが分かる。
「ワニです」
そう答えた瞬間、なんだか不思議な空間に迷い込んだような錯覚があった。
あれ?
どうしてワニが映っていていいんだろう。
左手側を見ると、確かに鏡に映っているあたりにワニの人形が置かれている。なのに、奇妙な違和感が身体の内側から湧き出してきた。
ポン、と肩に手が置かれてビクリとする。部屋の隅まで移動するようにという指示がある。
言われるまま、壁際に座った俺は胸がドキドキしている理由を考えまいとしていた。
師匠の声が昏いトーンを帯びる。
「さあ、なにが映ってる」
鏡の角度がなくなり、今自分はほとんど真横と言っていい位置にいる。
鏡面は平面というより線分に近づき、暗い金属色だけが見てとれる。ワニもゾウも、もちろんキリンも映っているない。

794 木 ラスト ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:35:30 ID:4o0HgrnU0
「さあ部屋を出ようか」
師匠は言葉だけで誘う。
目を開けたまま幽体離脱したように俺は師匠に連れられて部屋を出る。身体は部屋に残したまま。
街の中を師匠はどんどんと歩く。俺はついていく。
立ち止まるたびに師匠は俺に訊く。
「なにが映ってる」
答えられない。アパートのドアしか見えない。
「なにが映ってる」
答えられない。アパートさえもう見えない。
「なにが映ってる」
答えられなかった。
やがて二人は森の中に入り、だれもいないその奥で、朽ちた木の前に立つ。
木の前には鏡が置かれている。木の方に向けられた鏡。
師匠は訊く。その鏡の真後ろに立って。
「なにが映っている」
鏡の背は真っ黒で、なにも見えはしない。
「さあ、なにが映っているんだ」
分からない。分からない。
俺の目は鏡の背中に釘づけられている。その向こうにひっそりと立っている朽ちかけた木も視界には入っているのに、鏡の黒い背中、その裏側に映っているものをイメージできないでいる。
分からない、分からない、分からない。
頭の中が掻き混ぜられるようで、ひどく気分が悪いような、心地良いような……
ポン、と肩を叩かれた。
「もう一度訊く」
一瞬で師匠のアパートに帰ってきた。自分が壁際に座ったままだったことを再認識する。
「だれもいない森の奥で木が倒れた。その木の前に置かれていた鏡に、倒れる瞬間は映っているかどうか」
さっきとまったく同じ問いなのに、その肌触りは奇妙に捩れている。
鏡の前にはキリンがさっきと同じ恰好で倒れている。
「分かりません」
ようやくそれだけを絞り出すと、師匠は満足したようにキリンとゾウとワニを拾い集めた。

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