師匠シリーズ
トイレ

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160 トイレ   ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/06/28(土) 23:43:52 ID:quV+YcYD0
大学1回生の春だった。
休日に僕は一人で街に出て、デパートで一人暮らしに必要なこまごまとしたものを
買った。レジを済ませてから、本屋にでも寄って帰ろうかなと思いつつトイレを探
す。
天井から吊り下がった男と女のマークを頼りにフロアをうろつき、ようやく隅の方
に最後の矢印を見つけた。
角を曲がると、のっぺりした壁に囲まれた通路があり、さらに途中で何度か道が折
れて、結局トイレルームに至るまでには人の気配はまったくなくなっていた。
ざわざわとした独特の喧騒がどこか遠くへ行ってしまい、自分の足音がやけに大き
く響いた。
ふと、師匠から聞いた話を思い出す。
『あのデパートの4階のトイレ、出るぜ』
オカルト道の師匠の言うことだ。もちろんゴキブリやなにかのことではないだろう。
僕はここが4階のフロアだったことを記憶で確認し、「よし、ちょうどいい。確か
めてやろう」と思う。
確か師匠はこう続けたはずだ。
『4階の身障者用のトイレでな、自分以外誰もいないはずなのに近くで声が聞こえ
るんだ。その声は小さくて何を言っているのかとても聞き取れない。キョロキョロ
したって駄目だ。小さい音を聞くために、どうしたらいいか、考えるんだ』
ドキドキしてきた。
通路を進むと男性用と女性用のマークがはめ込まれている壁の手前に、車椅子のマ
ークのドアがあった。身体障害者用の個室だ。
入るのは初めてだった。

161 トイレ   ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/06/28(土) 23:46:55 ID:quV+YcYD0
クリーム色の取っ手を横に引くと、ドアは大した力もいらずにスムーズに滑った。
パッと明かりがつく。自動センサーのようだ。内側に入り、ドアから手を離すと自
然に閉まっていった。
中は思ったより広い。普通のトイレの個室とはかなり違う。入り口から正面に洋式
の便座があり、右手側には洗面台がある。その洗面台の上部に取り付けられている
鏡を見て、少し違和感を覚える。
鏡の真正面に立っているのに、自分の顔が見えない。胸元が見えているだけだ。
よく見ると鏡は前のめりに傾けられていた。なるほど、車椅子の人が使うことを想
定して、低い位置から正対できるようになっているらしい。
顔の見えない鏡の中の自分と向かい合っていると、まるで鏡に映っているのが見知
らぬ誰かであるような気がして、気持ちが悪かった。
僕は鏡から目を逸らし、便座に近づく。手すりが壁に取り付けられ、壁から遠い側
には床から丈夫そうなパイプが伸びている。
グッと体重をかけて手すりとパイプを両手で掴みながら体を反転させる。
ストン、と便座に腰を落とす。
静かだ。換気扇の回る振動だけが伝わってくる。
心霊スポットだからって、いつもいつも「出る」わけでもないだろう。ましてこん
なに明々とした個室で、しかも昼間っからだ。
残念に思いながらも少しホッとした僕は、ついでだからとズボンを下ろし、用を足
した。
水を流すボタンはどれだ?
壁側を探ると、赤いボタンが目に付いた。あやうく押すところで思いとどまる。
『緊急呼出』
そんな文字が書いてあった。

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