寺・神社
八方園神社

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閑話休題
・・・ラストに備えて、用語の説明をば・・・
「海軍『兵』学校」と言う名称から、「兵隊を育てる学校」と認識されることが多いのですが、「海軍『兵』学校」の「兵」は、職域としての「兵科」将校の育成機関でした。
で、この場合の「兵科」とは何か、と言うと、砲術・水雷等の直接戦闘に関わる職種や航海・通信等艦の運行に携わる職種、それに航空機搭乗員を指します。
機関を扱う将校を養成する「海軍機関学校」は神奈川県横須賀、主計(庶務・経理)を行う将校を養成する「海軍経理学校」は東京の築地にありました。
それで、機関将校や主計将校は指揮権の委譲ラインには入っていませんでした。
例えば、兵科将校が少尉一人しか残っていない場合、中佐の機関長が生存していても指揮権は少尉のほうへ移る事になります。

海上自衛隊の幹部(将校(=士官)ですね)になるためには、大きく3つの方法があります。
一つ目は、防衛大学校を卒業するか、一般の4大を出て「一般幹部候補生」となり幹部候補生学校へ入校する。これを部内では「A幹」と言います。
二つ目は、下士官(海曹)経験4年以上で選抜試験に合格し、「部内幹部候補生」となり幹部候補生学校へ入校する。これを部内では「B幹」と言います。
三つ目は、下士官を上り詰めて「部内幹部候補生」となり幹部候補生学校へ入校する。これを部内では「C幹」と言います。
旧海軍から見ると、A幹(防大卒)は海兵・海機・海主の何れかの卒業者、A幹(一般大卒)は予備士官、B幹・C幹は特務士官という扱いになります。

929 退職済みですが 2009/07/14(火) 15:54:34 ID:x0QB/pll0
「八方園神社 5/5」

1術校での教育課程を修了し、某護衛艦に乗り組みを命ぜられた私は、しばらく普通に勤務していました。(当然の事ですねw)
新しいフネにも慣れたある日、行われた宴会で私は「八方園神社」の事をA幹(防大卒)の分隊士(3尉)に訊ねてみました。
「そもそも、あそこは一体何だったのか」、と。
分隊士曰く。
「う~ん。。。答え難い質問だけどねぇ。。。あそこが「海軍兵学校」だった頃は、○×海曹(私のこと)が教官から聞いたとおりの場所だったんだと思う。
 俺も初めて行った時は、なんだか『寄るな』みたいな圧力を感じたんだよ。単なる思い込みかな、とも思ったんだけど結構いるんだ、そう感じた人。」
分隊士は続ける。
「あ、そういえば。聞いた話なんだけど、何年かに一度くらい、幹候校修了後の遠洋航海で航海中行方不明って事故が起こるよね。
 その殆どが「一般大卒のA幹」らしいんだ。確かに、「臨時雇いの俄か士官が」って先達が怒ったのかもしれないよね。

 そういう俺も、この先機関とか補給(=主計)に行く可能性はある訳だし。昔と今じゃカリキュラムが違うからさ。
 ○×海曹は大丈夫だろ?曹士(=下士官兵)が居なければ、戦闘はおろかフネを動かす事だってできない訳だし。
 そもそも1術校の特技持ちなんだから、B幹で幹候校へ行ったとしても、昔で言う「兵科の特務士官」確定だろ?
 ところで、あそこって椅子みたいな地形になってるよね?あそこの背もたれみたいになってる処に小さな石碑と祠があるの、知らないだろ。
 「帝國海軍兵科士官在処故郷」、海軍兵科士官の故郷は此処に在りって彫られているんだよ。
 海兵卒の先達からみれば、俺たち海自幹部は後継者として認められない、ってことなのかも知れないね。」

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