師匠シリーズ
図書館

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906 図書館  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2007/03/07(水) 19:43:26 ID:OPG460nV0
掘ったら、とんでもないものが出てくるよ。たぶん。
そう言って、コツ、コツと床を指で叩く。
「だからそこに吸い込まれるように、昔からこの図書館には霊が通るそういう穴
 がたくさんある」
沈黙があった。
師匠が叩いた床をなぞる。長い時間の果てに降り積もった埃が指先にこびりついた。
ふいに足音を聞いた気がした。
耳を澄ますと、遠いような近いような場所から、確かに誰かが足を引きずる様な
音が聞こえてくる。
腰を浮かしかけると、師匠の手がそれを遮る。
その音は背後から聞こえたかと思うと、右回りに正面方向から聞こえ始める。
本棚の向こうを覗き込む気にはなれない。
歩く気配は続く。
それも、明らかに二人のいるこの場所を探している。それがわかる。
この真夜中の書庫という空間に、人間は俺たち二人しかいない。それもわかる。
奥歯の間から抜けるような嘲笑が聞こえ、師匠の方を向くと「あれはこっちには
来られないよ」という囁きが返ってくる。
結界というのがあるだろう。茶道では、主人と客の領域を分けるための仕切りの
ことだ。竹や木で作るものが一般的だが、僕が最も美しいと思うものが、書物で
つくる結界だよ。そして仏道では結界は僧を犯す俗を妨げるものが結界であり、
密教でははっきりと魔を塞ぐものをそう言う。結界の張り方は様々あるけれど、
古今、本で作るものほど美しいものはない。
ザリザリ。
革が上下に擦られるようなそんな音をさせて、師匠は背後にそびえる棚から一冊
の本を抜きとった。暗い色合いのカバーで、タイトルは読めない。

907 図書館  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2007/03/07(水) 19:44:39 ID:OPG460nV0
これは僕がここに仕込んだ本だよ。どうすれば相応しい場所に相応しい本を置
けるか、ひたすら研究してそしてここに通い詰めた。おかげで図書館学には
いっぱしの見識を身に着けたけどね。教授を騙して寄贈させたり、どのスペース
が次に埋まるか、その前にどの本が次に書庫送りになるか、その前にそれに影響
を与える本が果たして次に購入されるのか。計算しても上手くいかないことも多
い。こっそり入れ替えても書庫とはいえ、いつの間にか直されてるから。どうし
ても修正できないときはまあ、多少非合法的な手段もとった……
足音が増えた。
歩幅の違うふたつの音が、遠くなったり近くなったりしながら周囲を回っている。
片方は苛立っている。
片方は悲しんでいる。
ような気がした。
そして俺にはいったいなにが、ここに来たがっているその二つの気配を遮ってい
るのか全くわからない。
左肩のほうから右肩の方へ、微かに古い紙の匂いが漂う気流が通り抜けているだ
けだ。
視界は狭く、先は暗幕が掛かったように見通せない。
「僕が書庫の穴を塞いだころから、流れが変わったのか外の穴まで虫食いみたい
 に乱れはじめた」
こんなことができるんだよ、たかが本で。
師匠は嬉しそうに言う。
今の話には動機にあたる部分がなかった。けれど、何故こんなことをするんです
かという問いを発しようにも、「こんなことができるんだよ、たかが本で」とい
うその言葉しか、答えがないような気がした。

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