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子どものころの怖い話 洒落怖

テケテケ

私は所謂「見える人」だ。そうは言っても「見える」「会話する」以外に特別な何かはできないが。

私が初めて幽霊とちゃんと喋った、小学校6年生ころの話。
大抵の学校にはあろうかと思う。学校の七不思議。
うちの学校に怪談が七つもあるのか私は知らなかったが。
私が知る話は2つ。体育館の脇にあるトイレで出るという 赤いちゃんちゃんこ
もう1つは通学路にある地下道に現れる テケテケだ。
この2つが全国的かどうかわからないので、軽く説明するが 赤いちゃんちゃんこ とはトイレの個室で用を足していると、どこからともなく声がする。
赤いちゃんちゃんこいらんかね?いると答えるまで執拗に問うてくる。
観念して「いる」と答えれば血達磨にされるという恐ろしい話である。
テケテケ。上半身しかない人型のお化けで、手で走って追いかけてくる。捕まれば自分がテケテケにされる。下半身をもがれるわけだ。
どちらもピュアな学童を恐怖に貶めるには十分な話だった。

922 :2/3@\(^o^)/:2014/08/14(木) 23:48:26.77 ID:8QX2M0rq0.net
いつからだったかテケテケが出たという話が広まりだし、それは僅か数ヶ月で学校中を席巻してコミュニティーは騒然となった。
足に自信のある者はこぞって捲いてやると息巻いた。私も逃げ切れる自信があった。
誰よりも早く自信を確信に変えたくて、下校時はいつも件の地下道を通るようにしていた。
そんな私の後ろをYはいつも怯えて歩く。

息が白く、空が澄むようになってしばらく。地下道の蛍光灯に蜘蛛の空き家が並ぶ季節。
相変わらず地下道を行く私たちの耳に何かを引き摺るような音が届いた。
車の音がやんでいる。町の喧騒がどこかへ消え、静寂が耳に痛い。不思議な感覚だった。が、恐怖心は無い。
Yは落ち着かない表情で、見るともなく辺りをキョロキョロ伺っている。
ずずっと音のする方を探る。どこだろうか。上だ。天井と壁の境にそいつは居た。胸くそが悪くなる。
「テケテケ」は確かに上半身だけのお化けだ。へその辺りから下が無い。無いが、下半身のあった痕跡は有る。
現代風のTシャツはボロボロで、身体から赤黒い線状のものが数本ぶらぶらとだらしなく垂れている。
すぐにでも吐いてしまいそうだった。Yの口からは美しい放物線を描き給食と思われるモノが噴き出していた。
私以外にも見えているのかと少し驚いて考える。
逃げるか。ここまでの動きを見る限り追いつかれるとは思えない。
しかしここには、もはや立つ事すらままならないYが居る。しゃがれた声が聞こえた。
誰かの名前を呼んでいる。聞いた事の無い名だった。
テケテケは潰れた目でこちらをじっと見つめ、誰のものかわからない名を呟いている。
私は私たちの名を告げ、そんな者は知らないと答えた。
Yはアホ面を私に向ける。
2年生の女の子だ
震える声で私にそう伝えたYが私の袖を掴み走り出した。勢いにまけて、重心が後ろに崩れ、何とかバランスをとろうと足を踏み出す。
そのままYに連れられ地下道から走り出てしまった。
私たちが地下道から出る刹那、彼女はしゃがれた声で再び名前を呼んでいた。

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視える物

俺たまに変なものが視えることがある
黒い霧が数個立っていたり、人の周りをにじむような闇が覆ってたり

そしてこれはかれこれ20年以上前の高校の時の話
この時ほどはっきり視えたことはなかった
同級生にIというやつがいたんだ
いまで言うDQNでテストの成績はそれほど悪くなかったが学校にはDQN仲間と遊びに来てるった感じ

そいつが高校三年の時におかしい行動を取り始めた
毎日校庭の片隅にある焼却炉に行くんだ
そして気がついた時にはIの足元が黒くなっていた

Iに何燃やしてるの?って聞いたらイタズラで毎日Iの筆箱や学生服のポケットに長い髪を入れていく奴がいるらしい
最初がゴミ箱に捨ててたが気味が悪くなって見つけたらすぐに燃やす用意してたそうだ

だけどそのうち足元の黒いのがどんどんIの上に上がっていった
そして黒い理由がわかった
焦げていたんだ
下半身全体に広がった頃からIが学校に来なくなった
DQN仲間によるとノイローゼで家に引きこもってるらしい
なんでも家にいて外に出てないのにいつの間にか髪の毛が身の回りにあるそうだ
それも全部燃やしてるといってた

そして三月たったぐらいで一人で留守番していたIの家から火が出てIは焼死した

あとで知ったのはIが三年前に女の子を襲って妊娠させて、結果としてその子が自殺していたということ
やっぱり呼ばれたんだよな

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拾ったビデオ

20年以上前になるが小学校低学年の夏休みに遊びに来た年上の従兄弟と家まで歩いてたら途中の空き地にビデオテープが三本捨ててあった。
従兄弟が面白半分に持ち帰ろうと言い出して俺は嫌だったけど逆らえず持ち帰ってしまった。
帰宅して親が仕事に行ってる間にリビングのビデオデッキで適当に一本再生してみると、路地裏で女がカメラ目線で服を脱いでいくのが映った。
標準録画だったが画質はかなり悪く、どうやらダビングしたAVのようだった。従兄弟は観たそうだったが俺はモタモタしてると親が帰ってくるからと言って早送りで終わらた。
それからもう一本再生したがそっちはアルプスみたいなとこで外人同士がアオカンしてて二人ともオエーとなってすぐ出した。
で、最後の一本を入れた。最初満員電車の実録痴漢ものみたいなのが映ってて、他二本に輪をかけて画質が悪かった。

続く

186 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/26(火) 15:36:26.13 ID:gKcg4LId0.net
つまんねーなと思いつつ早送りしてると不意に映像が途切れてノイズが入り竹林を行く子供が映った。あっと思って早送りを止めた。まだ小学校前の少女のようだった。辺りは薄暗い。
後ろから撮っているのだが、少女の足取りがふらふらしていておかしく時々転びかけたり立ち止まろうとしたりする。その度に画面の端から大人の手が伸びてきて支えたり小突いたりしていた。
声は一切しない。その映像が10分くらい続いて、従兄弟と何コレと言いながらも何故かそのまま見入っていた。やがて竹林が途切れ広い場所にきた。陽が射し込んでいる。
中心部近くに大きな穴が掘ってあった。少女がその縁までくると後ろから両手が背中を押して穴へ落とした。ジーパンを穿いた足が現れ土を穴に落としていく。
その間少女は身動きせず背中に土が被さるに任せていた。顔は横を向いていたが暗くてよく判らない。
俺達は黙りこくって画面を見つめていた。後から思うと金縛りみたいなものだったかも知れない。
ついに縁まで土で埋まった。足はその上を入念に踏み固めた。そこまで見て俺は急にやばいと感じた。このままだとまずいことになる。手を伸ばし停止ボタンを押した。しかし映像は消えない。
「ああヤバい」
かすかに声が漏れた。すると隣に座っていた従兄弟が前に倒れ込むようにしてテレビに近づいた。次の瞬間映像が回転したようになり空が斜めに映って、消えた。
「早く取り出して」
俺が叫ぶと従兄弟はテープを出そうとしたが、中で絡まってて取り出せない。無理に引っ張り出すとぐじゃぐじゃになったテープがズルズルと伸びてきた。
俺たちがパニックになっていると親父が帰ってきて何やってんだとテープをハサミでちょんぎった。その後テープは改めて元の空き地へ捨てた。

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鬼伝説の山

俺が中学生のときだった。

いじめられっこだった俺は、夏休みになると祖母の住む田舎に帰省していた。
山に囲まれたA野という地区で、もともと俺の家族も暮らしていた。
だが母と祖母の仲が悪く、特に祖母が母の自分勝手な性格を嫌っていたのが
大きな原因で、ついに耐えきれなくなった母は引っ越すことを決意した。
だが自分の都合で我が子を振りまわすことに懸念を覚えたのか、当時、
いじめられていると誰にもいえなかった俺の気持ちを、見当違いに推し量り、
慣れ親しんだ学校を離れずに済むようにと、引っ越し先は山を一つ越えた隣の街になった。
(父は務めている会社も隣街だったし母のストレスも考えて承諾した)

今まで十分だった通学時間は三十分に延びたが、これでもまだ近い方だろう。
そして、いつも通りに自転車を漕ぎ、左右を木々が占領する道路を
十五分くらいかけて突き進むと、以前の我が家である民家に到着した。
孫の顔を見れて喜ぶ祖母は、母がいなくなって清々したことを俺の前で呟きながら、
張り切って畑仕事にいき、俺は居間のテレビを見る日々を過ごした。

裏にある深い森も、夏の風物詩であるセミの鳴き声を轟かせていた。
ただ、その森――B山には、古から残り続ける、ある伝承があった。
逢魔時になると鬼が出る、というものだった。
記憶が曖昧なので要点だけつかせてもらうと、大昔、この土地には鬼が住んでおり、
B山の頂上を拠点に悪行を繰り返していた。貧困で困り果てた地元民は窮状を百姓に訴えると、
腕の立つ用心棒を出向かせて鬼を討ったという伝説だ。
(大まかな骨格としては温羅伝説に似ている)
そしてB山を拠点としていた鬼は、討たれたことで悪霊と化し、
魑魅魍魎となって現れると云われていたのだ。
だが、A野で暮らす人たちは、若い世代になるにつれてその伝説を、
早く寝ない子には鬼が食べにくるぞなどと、子どもの躾けにかこつけることが多かった。
反対に、個人で山を持つ年配者の間では目撃談が飛び交い、鬼の存在を信じ怯えていた。

元来霊感の強かった祖母ももちろん鬼について語っており、お盆や真夜中になる霊が何とか盛り塩がどうたら騒ぎたて、母とにらみ合っていたし、
A野の古い神社へお札を受け取りにいくこともあった。
そういった祖母の行動から、俺は幼いながらに鬼を信じていた。
逢魔時にB山へ立ち入ることもしなかった。
さらに、神社には神隠しを退けた人物の遺骨を保管している
というオカルト染みた事実も手伝って、ますます俺の信仰に拍車をかけた。
だが、中学生にもなると、俺は疑い深くなりネットの影響もあって
それらのことを信じなくなっていた。
祖母はそのことを承知していたらしく、帰省した途端入念に、
「あの森には近づくな、あそこは異界が開けている。いるのはただの鬼ではない」
と忠告を繰り返したが、俺の中二心を刺激したに過ぎなかった。
それに俺は他の目的もあって、鬼伝説が残るB山に入るつもりでいた。

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子どものころの怖い話

イカ釣り

今30の俺が小学生だった頃の話。
夏休みの夜はしょっちゅう親父とイカ釣りに行っていた。

夜8時ぐらいから釣りを始めて、夜11時ごろには家に帰って、
釣果のイカを砂糖醤油で甘辛く焼いて食べるのだ。
俺は親父とイカ釣りに行くのが大好きだった。

釣り場は近所の港にある、沖に向かって伸びる堤防だった。
子供の体感的には長さ500mぐらいあったと思うが、今見たらもっと短いかもしれない。
堤防の途中には『進入禁止』と書かれたフェンスがあったけど、
フェンスはちょうど堤防分の幅しかなかったから、横から簡単に越えられた。
その先が俺らの釣り場だった。

夜まで起きていて良い&ほんとは入っちゃいけないところに入れるという非日常感に、
当時の俺はワクワクしてしょうがなかった。
親父は『お前を連れてくると良く釣れるんだ』と言って笑ってくれた。
何の根拠もないけど、子供ながらに誇らしく嬉しいもんだった。

472 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/01/20(火) 21:39:35.97 ID:KzUJXmBM0.net
ある夜のこと。その日も親父に連れられてイカ釣りに向かった。
軽トラで田舎の県道を20分ほど走って、いつものさびれた漁港に入っていった。

水銀灯のオレンジの光で港はぼうっと照らされていたけど、
堤防の方向は明りもなく暗かった。

軽トラを駐車して、堤防に向かった。
暗いけど、月明りでなんとなく周囲は見えた。
堤防を進む間、波がパコパコと堤防の下を叩いて、フナムシがサワサワと散っていく。
分かる人には分かるだろうか。たまんない非日常感である。

堤防には誰もいなかった。
親父はイカ釣りに使う疑似餌を糸に付け、俺に竿を持たせ
キャスト(投げる)させてくれた。

俺はすぐに海底に疑似餌を引っかけるもんだから、
俺の役割はキャストだけで、巻き取るのは親父だった。

俺が投げ、親父が巻く。たまにイカがかかると俺に竿を持たせてくれる。
そんな釣りをしていた。

473 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/01/20(火) 21:45:13.22 ID:KzUJXmBM0.net
そうこうしてイカが2匹釣れた頃、
「ラジオ忘れた。車からラジオ持ってくる」
親父が言い、海に落ちるから歩き回るなよと強く言い含められた。
竿を預けられた俺は、任せろと言わんばかりの態度で親父を見送った。

しばらく経って、ぼけーっと寝っ転がって星空を見ていた俺は、
視界にチラつく明りと足音に気付いた。
親父かぁ~…?思ったより早いな~…と思いながら向き直ると、
顔をライトで照らされた。

「……………釣れるの?」
冴えない風貌の若い男が2人立っていた。
太った男とガリガリの男だった。

「……………2ひき釣れた」

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ポットン便所

私は子どもの頃から奈良県大和高田市に住んでいます。
私も、私の子どもと同じU西小に通っていました。
私が通っていた頃、U西小の体育館の横にボットン便所がありました。
木造のオンボロ便所で、幽霊が出ると噂されてました。
6年生のとき、友達と一緒に幽霊が出るかどうか見に行ったことがあります。
時間帯は、たしか放課後すぐでした。
まだまだ昼間だったし、便所内は電灯が点くから全然暗くありませんでした。
私たちはそのせいで油断していました。
あるとき、何の前触れもなく壁の木目が勝手に動きました。
動いていたのは2秒か3秒ぐらいの、ほんの一瞬でした。
私たちはしばらく、それに対して無反応でした。
私はそのとき、木目が動いたのを認めたくなくて、引き続きそのへんを見回すフリしてました。
でもすぐ友達と、どちらからともなく顔を見合わせました。
そして友達の方が先に頷きました。
どうやら友達も私と同じ状況だったようです。
私たちは「キャーーーッ!!!!」と叫んで走り去りました。

次の日の20分休みに、私たちは5人か6人でボットン便所を見に行きました。
私たちの世代ではまだ、ボットン便所を探検や使用しに行ったことのある子がけっこう居たのです。
木目が動いていたあたりを皆で見たところ、その部分だけ以前と明らかに違う模様へ替わっていました。
曲線と、色の濃淡だけで肖像画を書いたように替わっていました。
ある一人が、しばらくキョトンとしてから「ひっ」と息を飲みました。
それがキッカケになり、私たちはまた走ってボットン便所を後にすることとなりました。
ボットン便所は電気が点いたままとなり、私たちは後から先生に怒られました。
でも当時は、「勝手に消えたりするよりマシだ」と思ったものです。 W

私の子どもがU西小に入学する頃は、もうボットン便所が取り壊されていました。
怖がらせてはいけないと思い、木目の件は一切話していません。
そして、来月には末の子がU西小を卒業します。
私もようやく、木目の思い出から―――――
少なくとも、いつの日か孫が生まれてまた私たちのように育つまでは――解放されます。