洒落怖
聖域

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843 名前:長文スマソ 投稿日:02/02/18 07:10
◎不思議な洞窟の老婆
 息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮ら
しの私との二人は、昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向か
いました。山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメー
トル)以上もあるのです。未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと
峠より相当離れている手前に、屋敷台と称する数軒の小落がありました。
車はそれ以上進めません。
 駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。わらぶきの屋根と、手造
りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。黒ずんだランプが印象
的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。この
辺では、他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示して
くれましたが、田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこ
の家の主は、急に険しい顔つきになって、
 「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい
側には足を入れないのだ。止めた方がよいと思う。一歩でも踏み込むと、
得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。わしが知
っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」
 こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、小動物のくん製
肉をたくさん持たせてくれました。

844 名前:長文スマソ 投稿日:02/02/18 07:12
峠まで歩きましたが、八粁足らずの道程だと思っていましたのに、背丈
ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、予想外に時間を費やして
しまい、日の長い五月の一日も暮れようとしていました。山のベテランと
もなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。さすが
に人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいがそこ
ら中にあって、うなっていました。
 今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れない
ほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。二人で採れば六十キロ
は超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。キロ当たり
一万ですから、六万円以上になりそうだと、われながらみみっちい計算を
していました。
 突然、私達の目の前に老婆が現れました。初夏の日暮れの逆光線を
浴びて、音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。乱れた
髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたも
のなのか、衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っていま
す。どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。地底から涌き出るよ
うな声をしぼって、何やら尋ねているのです。私は山の衆と言われている
独特の〝またぎ〟の言葉も知ってますが、それとも違うようでした。判ず
ると、お前さん方はどこに行くつもりなのか。峠から向こうには行っては
いけない。今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ。そんな意味で
した。

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