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155 4/4 sage 2009/09/07(月) 20:54:06 ID:VunhrRwHO
要約する。
・この銅鏡を何故持ち出してはならないのか、理由は過去3回持ち出され持ち出した人間が3人とも悲惨な最期を遂げているから。
・何故箱から出してはならないのか、それはこの鏡が人の死を写す鏡だから。持ち出された理由もこれ。
・最近までは鏡についての禁忌は迷信と考えられていたが、23年前の出来事により固く守らねばならなくなった。
…23年前、それは僕の叔母(親父の姉)が亡くなった年だ。事故死だったのは聞いていたが詳しくは教えられていなかった。
なんでもあの鏡はこの土地から離れた所に持って行こうとすると持ち出した者に対し害を与えるらしい。過去にこの鏡を持ち出そうとした三人はその害を受けて死んだと伝えられている。
最初は戦国時代に石田三成の配下に依って持ち出されている。しかし関ヶ原の合戦後に三成の死後(徳川家康により斬首)戻ってきている。
二人目は第二次世界大戦中、国家総動員法に基づく金属回収の際、憲兵が無理矢理銅鏡を回収しようとして祖父の目の前でアメリカの機銃掃射に遭い死亡。
そして三人目が実は僕の叔母だった。この鏡は叔母の遺品でもあった。
叔母が存命の頃は鏡の呪いめいた話しも迷信として気にかけることもなく、たまに訪問するお客にも気軽に見せていたそうだ。何も映らない珍しい骨董品の鏡として。
お盆に大阪から遊びに来ていた叔母が帰り際に3つの家宝にお辞儀をし、鏡を手に取った時自分の顔が映ってしまったらしい。その時叔母は真っ青になり洗面所の鏡と銅鏡を何回も見比べていたそうだ。
そして言った。
「家宝に映るあたしの顔が真っ黒なの!」
親父は怖がる叔母を気のせいだとなだめた。しかしよっぽど恐ろしいものを見たらしくパニックはおさまらない。
京都にある自分が檀家となっているお寺に銅鏡を持って行き、お祓いをしてもらうと言う。
まあ、掟を破る事にはなるがそれで気が済むならと親父は銅鏡を貸し出す事に同意した。
しかし親父は同意した事を今でも後悔していると言う。何故か?
それはこの事により、過去最大の呪いをこの銅鏡が発揮したかも知れないからだ。
叔母は1985年8月12日18時4分、羽田発伊丹行きの飛行機で飛び立った。
あの鏡と一緒に…