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師匠シリーズ

図書館

902 図書館  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2007/03/07(水) 19:37:51 ID:OPG460nV0
大学2回生のとき、出席しなくてもレポートだけ提出すれば少なくとも可は
くれるという教授の講義をとっていた。
嬉々として履修届けを出したにも関わらず、いざレポートの提出時期になると
「なんでこんなことしなきゃいけないんだ」とムカムカしてくる。最低の学生
だったと我ながら述懐する。
ともかく、何時以来かという大学付属図書館に参考資料を探しに行った。
IDカードを通してゲートをくぐり、どうして皆こんなに勉強熱心なんだと思う
ほどの学生でごった返すフロアをうろうろする。
こんなに暗かったっけ。
ふと思った。
いや、高い天井から照明は明々とフロア中を照らしている。
目を擦る。
郷土資料が置いてある一角の、光の加減がおかしい。妙に暗い気がする。上を
見ても、蛍光灯が切れている部分はない。
俺が首を傾げているその時、眼鏡をかけた男子学生がその一角を横切った。
スッと、俺の目に暗く見える部分を避けて。
けっして不自然ではない足運びだった。本人もどうしてそんな動きをしたのか、
1秒後には思い出せないだろう。
全然興味のない郷土史を手に取ろうと、近づいてみる。
その本棚のかすかな陰に右足が入った途端、すごく、嫌な感じがした。
嫌な予感というのはきっと誰でも経験したことがあるだろう。
その嫌な予感を、なんいうか、腹の下のあたりにゆっくりと降ろしてきたような、
そんな感覚。
けっして絶対的に拒絶したいわけではないけれど、触れずに済むならそれにこ
したことはない。

903 図書館  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2007/03/07(水) 19:38:41 ID:OPG460nV0
人差し指まで掛けた分厚い装丁の本を元の位置に戻す。
これはなんだろう。
レポートのための資料探しなどすっかり忘れて、俺は図書館内を歩き回った。
そしてそんなエアポケットのような場所をいくつか発見した。
遠くからそうした場所を観察していると、足を踏み入れる人がやはり少ないこと
に気づく。
目的の本があって迷いなくそちらへ向かう人もいるが、ただ単にどんな本がある
か見て回っているだけと思しき人は、ほぼ例外なくそのエアポケットを避けている。
そのスポットの本の種類は様々だ。これは一体なんなのだろう。
1回生の頃には感じられなかった。
俺は大学入学以来オカルト好きが高じて、いろいろな怖いものに首を突っ込み続
けた結果、明らかに霊感というのか、ある方面に向いたインスピレイションが
高まっていた。
それが原因としか思えない。
しかし、このエアポケットからは直截的に霊的なものは感じない。
と思う。でも単純に俺の直感が至らないだけなのかも知れない。
そこで一番嫌な感じのする場所に、あえて踏み込んでみた。
周囲の目もあるので、適当に掴んだ本を開いてその場に立ち続ける。
嫌な予感をぐるぐると渦巻状にしたようなものが、下半身にズーンと溜まっていく。
段々と周りの光が希薄になり、酸素が足りてない時のように視界が暗くなって、
そしてすぐ隣で同じように本を立ち読みしている人が止まったまま遠ざかって
いくような、雑音が消えていくような、気圧が低くなっていくような……
思わず飛びずさった。
何も感じないらしい隣の人が、なんだろうという表情でこちらを見る。

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師匠シリーズ

追跡

458 追跡  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/09/26(水) 20:21:39 ID:gAYKdkL30
大学1回生の冬。
朝っぱらからサークルの部室でコタツに入ったまま動けなくなり、俺は早々に今日の講義のサボタージュを決め込んでいた。
何人かが入れ替わり立ち代りコンビニのビニール袋を手に現れてはコタツで暖まったあとに去って行った。やがて一人だけになってしまい俺もやっぱり講義に出ようかなぁと考えては窓の外を眺め、その冬空に首をすくめてもう一度コタツに深く沈みこむのだった。
うとうとしていたことに気付き、軽くのびをしてそのまま後ろへ倒れ込む。その姿勢のまま手を伸ばして頭の上の方にあるラックをゴソゴソと漁り、昔のサークルノートを引っ張り出しては読み耽っていた。
ふと、ラックの隅にノートではない小冊子を見つけた。ズルズルと引き抜く。
『追跡』
という題が表紙についている。何かの花を象った切り絵のようなイラストが添えられているそれは、どうやら個人で作ったホッチキス止めの同人誌のようなものらしい。A4の再生紙で60ページほどの厚さだ。
パラパラとめくってみると、中は活字ばかりだった。

  ……真夜中わたしの部屋の上を、巨人がまたいでいきます。
  巨人は重さもなく、匂いもなく、音も出さず、透明で
  けして目に見えず、手に触れることもできません。
  そして裏の森から、街の明かりがうっすらと光る方へ
  しずしず、しずしずと歩くのです。……

459 追跡  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/09/26(水) 20:22:21 ID:gAYKdkL30
短編小説のようだ。『巨人』という題名がついている。俺は何枚かページを飛ばした。

  ……公園で遊んでいた女の子を攫ったのはペットの犬を亡くし
  たからだった。
  家の地下室で飼いはじめたものの、ちっとも懐かないので目を
  潰してみた。
  すると少女はすっかり従順になり、ペットとして相応しい態度
  をみせはじめたのだった。
  食事は一日2回。仕事に行く前と帰った後に与えた。
  出入り口は一つだけ。私が現れそして消える、鍵の掛かった
  ドア。
  少女に名前はない。私はペットに名前をつけない。
  2年が経った。
  ふと思いついて地下室の壁に羽目殺しの窓を打ちつけた。
  もちろんただの飾りだ。向こうには何もない。
  少女にはこういった。
  「窓の向こうは海だよ」……

なんだか気持ちが悪くなって冊子を伏せた。さっきとは別の話のようだったが、このあと愉快な展開が待っているようには思えない。またページを飛ばす。

460 追跡  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/09/26(水) 20:23:49 ID:gAYKdkL30
  今日も人間もどきを探して歩く。
  人間もどきは人間のつもりなのだ。
  人間のように食べて、人間のように働いて
  人間のように笑ったり泣いたりする。
  ぼくは人間もどきを道端で、公園で、トンネルで、
  校舎で、ビルディングの中で、そして時々人の家の中で
  見つけてはそいつの耳元でこうささやくのだ。
  「あなたは人間じゃないよ」
  そうすると人間もどきはトロトロと溶けるように消えていく。
  あとには何も残らない。

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師匠シリーズ

貯水池

512 貯水池  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/09/26(水) 22:42:57 ID:gAYKdkL30
大学1回生の秋だった。
その頃の僕は以前から自分にあった霊感が、じわじわと染み出すようにその領域を広げていく感覚を半ば畏れ、また半ばでは身の震えるような妖しい快感を覚えていた。
霊感はより強いそれに触れることで、まるで共鳴しあうように研ぎ澄まされるようだ。僕とその人の間には確かにそんな関係性があったのだろう。それは磁石に触れた鉄が着磁するのにも似ている。その人はそうして僕を引っ張り上げ、またその不思議な感覚を持て余すことのないように次々と消化すべき対象を与えてくれた。
信じられないようなものをたくさん見てきた。その中で危険な目にあったことも数知れない。その頃の僕にはその人のやることすべてが面白半分の不謹慎な行動に見えもした。しかしまた一方で、時折覗く寂しげな横顔にその不思議な感覚を共有する仲間を求める孤独な素顔を垣間見ていたような気がする。
もう会えなくなって、夕暮れの交差点、テレビのブラウン管の前、深夜のコンビニの光の中、ふとした時に思い出すその人の顔はいつも暗く沈んでいる。勝手な感傷だとわかってはいても、そんな時僕は何か大事なものをなくしたような、とても悲しい気持ちになるのだった。
「貯水池の幽霊?」
さして面白くもなさそうに胡坐をかいて体を前後左右に揺する。それが師匠の癖だった。あまり上品とは言えない。
師匠と呼び始めたのはいつからだっただろうか。オカルトの道の上では、何一つ勝てるものはない。しかし恐れ入ってもいなかった。貶尊あい半ばする微妙な呼称だったと思う。
「そうです。夕方とか夜中にそこを通ると、時々立ってるんですよ」

513 追跡  ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2007/09/26(水) 22:44:50 ID:gAYKdkL30
その日、僕は師匠の家にお邪魔していた。築何十年なのか聞くのも怖いボロアパートで、家賃は1万円やそこららしい。部屋の中に備え付けの台所から麦茶を沸かす音がシュンシュンと聞こえている。
「近くに貯水池なんてあったかな」
「いや、ちょっと遠くなんですけど。バイト先からの帰り道なんで」
行きには陽があるせいか出くわしたことはない。
「高校のプール10コ分くらいの面積に、周囲には土の斜面があってその周りをぐるっと囲むようにフェンスがあります。自転車をこぎながらだと貯水池は道路から見下ろすような格好になって、行きにはいつもなんとなくフェンスのそばに寄って水面を眺めながら通り過ぎてます。それが結構高いフェンスなんです
 けど、帰りにそのこっち側、道路側に時々出るんですよ」
はじめは人がいると思って避けて通ろうとしたのだが、横切る瞬間の嫌な感覚は、
これまで何度も経験した独特のものだった。
それは黒いフードのようなものを頭からかぶっていて男か女かも判然としない。ただ足元にはいつも水溜りが出来ていて、フードの裾からシトシトと水が滴っている。晴れた日にもだ。
(関わらないほうがいい)
それは信じるべき直感だったが、かといって道を変えるほど素直でもなかった。
それからはバイト帰りには必ず道の反対側を通るようにしている。といっても1車線の、あまり広いとはいえない道なので嫌が応にも横目で見る形ですれ違うことになる。気分が良いはずはない。
一度師匠をけしかけてみようと虫の良いことを思いついたのだが、どうやらあまり琴線に触れる内容ではなかったようだ。正直に「ナントカシテ」と言うのも情けない。

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師匠シリーズ

エレベーター

191 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:40:48 ID:sx6grxVr0
大学1回生の秋だった。
午後の気だるい講義が終わって、ざわつく音のなかノートを鞄に収めていると、同級生
である友人が声を掛けてきた。
「なあ、お前って、なんか怪談とか得意だったよな」
いきなりだったので驚いたが、条件反射的に頷いてしまった。
「いや違う、そうじゃなくて、怪談話をするのが得意とかじゃなくて、あ~、なんつっ
 たらいいかな」
友人は冗談じみた笑いを浮かべようとして失敗したような、強張った表情をしていた。
「……怖いのとか、平気なんだろ?」
ようやくなにが言いたいのか、わかった。彼の周囲で何か変なことがあったらしい。だが
頷かなかった。平気なわけはない。
「外で聞く」
まだ人の残った教室では、あまりしたくない話だ。俺はその頃はまだ、できるだけ普通の
学生であろうとしていた。
夕暮れの駐輪場で、自転車にもたれかかるようにして経緯を聞く。
彼は郊外のマンションに一人で住んでいるのだと言った。エレベーター完備の10階建て
で見通しの良い立地場所なのだとか。親が弁護士で、仕送りには不自由していないのだそ
うだ。口ぶりから自慢げな雰囲気を嗅ぎ取った俺が、「帰っていい?」と言うと、よう
やくそのマンションで気味の悪いことが起こっているという本題に入った。
「エレベーターで1階に降りようとしたらさ、箱の現在地の表示ランプが上の方の階か
 ら下がってくるわけよ。それで自分トコの階まで来たら開くと思うじゃない? それが、
 なんでかそのまま通過するんだよ。ちゃんと下向き矢印のボタン押してるのに」

192 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:41:59 ID:sx6grxVr0
それが頻繁に起こったので、彼は管理人に電話したのだそうだ。故障しているのではな
いかと。しかし、数日後「業者に見てもらったが正常に作動中」だとの返答。他の住民
に「最近、エレベーターの調子悪くないですか」と聞いてもみたが、「さあ」と返され
ただけだった。
「箱の現在地が下の方の階にある時だって同じことが起こるんだ。ボタン押して待って
 ても、開かずに通り過ぎるんだよ。それでランプ見てると上の方の階で停止してるだ
 ろ。上の階の人が先にボタン押して箱を呼んでても、途中の階で後からボタン押した
 らちゃんと止まるよなあ。デパートとかだと。まあでも設定が違うのかもと思ってさ
 あ、イライラしながら待ってたらやっとランプが降りてきて、自分トコの階で止まる
 わけよ。それでドアがスーッと開いたら……」
彼はそこで言葉を切って、微かに震える声で言った。
「誰もいないわけよ」
ちょっとゾクッとした。
確かになにか変だ。
自分の階をスルーして上の階で止まったはなんなのだ。誰かが乗ろうとしてエレベーター
を呼んだのではないのか。
「そんなことが続いてさあ。もうなんか、気味悪くて」
俺の部屋、4階なんだ……
それがさも因縁めいているかのように、彼は言う。
しかも、5号室。てことは、ひぃふぅみぃよぉの、4つ目の部屋なんだ……
「最悪だよ」
そう言って溜息をついた。
彼はそういう数字的なものを気にするタイプらしい。サッカー部に属している彼に快活な
イメージを持っていた俺は、そのうなだれる姿を意外に思った。

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師匠シリーズ

古い家

244 師匠コピペ1 sage 2008/06/29(日) 12:30:32 ID:vtxXJwJU0
534 古い家   ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2008/06/29(日) 00:01:09 ID:quV+YcYD0
聞いた話である。

「面白い話を仕入れたよ」
師匠は声を顰めてそう言った。
僕のオカルト道の師匠だ。面白い話、などというものは額面どおり受け取ってはな
らない。
「県境の町に、古い商家の跡があってね。廃墟同然だけど、まだ建物は残ってるん
 だ。誰が所有してるのかわからないけど、取り壊しもせずに放置されてる。誰も
 住んでいないはずのその家から夜中、この世のものとは思えない呻き声が聞こえ
 るっていう噂が立ってね。怖がって地元の人は誰も近寄らない。どう、興味ある?」
大学2回生の夏だった。
興味があるのないのというハナシではない。ただその時の僕は、(ああ、今回は遠
出か)と思っただけだ。
その夏は、1年前の夏と同様にいやそれ以上に、怖いもの、恐ろしいものにむやみ
やたらと近づく毎日だった。
その日常はなだらかに下る斜面の様に狂っていた。普通の人には触れられない奇怪
な世界を垣間見て、恐ろしい思いをするたびに、目に見えない鍵を渡されたような
気がした。その鍵は一体どんな扉を開けるものなのかも分からない。使うべき時も
分からないまま、鍵だけが溜まっていった。僕はそれを持て余して、ひたすら街を、
山を、森を、道を、そして人の作った暗闇をうろついた。その日々は頭のどこか大
事な部分を麻痺させて、正常と異常の境をあいまいにする。
どこか現実感のない、まるで水槽の中にいるような夏だった。

ゴトゴトと軽四の助手席で揺られ、僕は窓の向こうの景色を見ていた。
師匠の家を夕方に出発したのであるが、今はすっかり日が暮れ、そそり立つ山々が
黒い巨人のような影となって不気味な連なりを見せている。

245 師匠コピペ2 sage 2008/06/29(日) 12:31:33 ID:vtxXJwJU0

535 古い家   ◆oJUBn2VTGE ウニ New! 2008/06/29(日) 00:08:52 ID:9x5Yw4U+0
最後にコンビニを見てからどれくらいだろうか。
寂れた田舎の道は曲がりくねり、山あいの畑の向こう側に時々民家の明かりが見え
るだけで、あとは思い出したように現れる心細い街灯の光ばかりだ。
カーステレオはさっきから稲川順二の怪談話ばかりを囁いている。時々師匠がクス
リと笑う。僕はその横顔を見る。
ハンドルを握ったまま、ふいに師匠がこちらを向いて言った。
「こないだ、くだんを見たよ」
え? と聞き返したが彼女は繰り返してくれなかった。代わりにぷいと視線を逸ら
して、「やっぱ鈍感なやつには教えない」と言った。
なんだか釈然としない思いだけが残ったが、師匠の言動は解釈がつくものばかりで
はない。
気がつくと道が広くなり、山が少し遠くへ退いて見える。
道の傍の防災柱が目に入ると、時を置かずに農協の看板が現れた。ポツリポツリと
民家や、小さな公共施設が見え始める。
「この辺に停めよう」と言って、師匠は土建会社の資材置き場のようなスペースに
車を乗り入れて、エンジンを切った。
人気はまったくない。師匠はダッシュボードから懐中電灯を取り出して、手元を照
らす。手描きの地図のようだ。
「こっち」
バタンとドアを閉めながら師匠は歩き出した。僕は後ろをついていく。
死んだように静まりかえる古い田舎町の中を進むあいだ、動くものの影すら見なか
った。懐中電灯に照らし出された道には時々なにかの標語が書かれた看板が見え、
どこか遠くでギャアギャアと鳴く鳥の声ばかりが間を持たせるように聞こえて来る。
腕時計を見ると、まだ深夜12時にもなっていない。ここでは僕らが知るそれより
も夜が長いのだ、と感じた。

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師匠シリーズ

ビデオ

640 ビデオ 前編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/02/08(日) 00:16:01 ID:3TBJnZvS0

「あいつの、弟子か」
凄い力だった。黒谷は俺を引き寄せてささやく。師匠はもう外に出ていて、家の中からでは見えない。
「オレのことは聞いたか」
掴まれた腕の痛みに顔をしかめながら、頷く。
「じゃあ浦井のことも聞いたか」
まだ全部は聞いてません。ようやくそう言うと、やっと手を離してくれた。
黒谷は何か考えごとをしているように視線を宙に彷徨わせていたが、ニッと口元を歪めると、「あのビデオ、やばいぜ」と言って”もう行け”とばかりに手を振った。
掴まれた肘の裏側が熱を持ったように痛む。俺は逃げるように靴を履いて外へ出た。
外では師匠が誰かに気づいた様子で、なにかを喋りながら本堂の方へ歩いていこうとしていた。俺は家の戸口を気にしながら慌ててそれを追いかける。
視線の先に白い服を着た少女が映った。ああ、さっきの、と思う。幻覚ではなかったようだ。
師匠は「アキちゃん」と呼んで近づいていった。
本堂の式台の端に腰掛けて足をぶらぶらとさせながら、師匠の呼びかけに軽い会釈で応えている。
中学生くらいに見える、ほっそりとした色の白い子だった。
久しぶりに会ったような挨拶を交わしたあと、師匠は「高校には上がれそうなのか」と聞いた。
そういえば今日は平日のはずだ。学校を休んでいるのか。
少女ははにかんで笑い、「たぶん、なんとか」と風鈴が鳴るような声で返した。
その後、参道を引き返す俺たちを見送りながら、彼女はずっと同じ格好で座っていた。振り返るたび、周囲の景色より小さくなっていくように見えた。

641 ビデオ 前編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/02/08(日) 00:21:08 ID:3TBJnZvS0

帰りの車の中で俺はシートベルトを締めながら師匠に顔を向ける。
「アキちゃんて言うんですね」
「ああ。秋に生まれたからだと。あのオッサンの妹だよ。体が弱くてね。学校も休みがちみたいだ」
ずいぶん歳の離れた兄妹だ。それよりあのガッシリした体格の男性とのギャップが大きい。
「血は繋がってるのはホントだよ、どっかから攫ってきたワケじゃない。それにあのオッサン、ああ見えてまだギリギリ二十代のはずだ」
師匠は意味深な口調でそう言って、急な山道を降りるためにフットブレーキからギアを落としてエンジンブレーキに切り替えた。
「あのオッサンの話は、まあ、またいずれな」
それより、こっちさ。
そんな顔で師匠は傍らの紙袋を舐めるように見るのだった。

お互いに午後は用事があり、深夜零時近くになってまた合流した。
「夜の方が雰囲気が出るだろう」
師匠はそう言って、まだ見てないというビデオテープを紙袋から出して見せた。
師匠のアパートの畳の上で、いつものように俺は胡坐をかいてテレビの前に座った。家具だかゴミだかよくわからないこまごましたものを乱暴にどけて、師匠も横に座る。
「古いテープみたいだからな。ベータとかいうオチじゃなくて良かった」
そんなことを言いながら、黒いビデオテープのカバー部分をパカパカといじる。どこにでもある百二十分テープのようだ。タイトルシールはない。
「さて、焚き上げ供養希望の一品、ご拝見」
軽い調子で師匠は、ビデオデッキにテープを押し込む。「再生」の文字が映り込み、黒い画面が砂嵐に変わった。