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呪いの存在

心の整理が出来てきたので、書こうと思います。
長文になります。

俺には二人の大切な友達がいました。
小学校からの付き合いの友達で、社会人になってからもよく一緒に酒を飲みに行くような間柄。

去年の今頃も、その友達を含む三人で酒を飲んでいました。
その友達をA、もう一人の友達をBとして話を進めます。
お酒を飲みながらAが急に「お前ら、呪いを信じるか?」とか言いだした。
Aは地元では唯一の国立大学に進学していて、選考も理系でオカルトを信じるタイプでは無く、
Bは呪いとかのオカルト好きだったけど、Aがそんな話をすることが無かったから俺もBも「?」と
なっていましたが、Aは話を続けた。

「小学校の頃、俺の家の近くの共選所で遊んでいた時に、石に腰掛けててお爺さんがいただろ?」
 あのお爺さんが少し前に亡くなったんだけど・・・」

俺らはよくAの家の近くで数人で遊んでいました。
その時に遊んでいる俺らを優しげな感じで眺めていたお爺さんがいたことは良く覚えています。
小学校を卒業してからは、そこで遊ぶことも無くなって、それ以降は見たことがありませんでした。

「死んだ理由は呪いだ」
俺もBもキョトンとなってりました。
いくらBがオカルト好きでも、急に呪いで死んだとか言われてはBも「はっ?」って感じでした。
Aは話を続けた。
47 :モンキチ@\(^o^)/:2015/07/07(火) 16:28:49.35 ID:5K9EcLcC0.net[2/11]
「今年の大雪でハウスとか、脆い建物とかいくつも潰れただろ?
 あの共選所にあった社も潰れたんだ。
 だが、社の下には怨念の込められた井戸があって、その中で呪いの力を強めた『モノ』があった」

それを聞いたBがゾっとした顔をしました。
Bはオカルトは好きだが、霊的な現象を信じている訳ではなく、そういう映画を見たり、伝承を調べたり
して、みんなと話をするのが好きといった感じでした。
強い思いは具体化する見たいな事は本気っぽく言っていましたが。

「それは何十年も前に部落に何人もの死者を出した悍ましい呪具だ。
 その呪具が再び人を呪い、まずはお爺さんが殺された」

俺は正直な話、呆れていました。
学生の頃ならまだくも、30も過ぎた男が話す内容では無い。
でも、Bは強い興味をいだき、話始めた。

「それって俺らの地元に伝わる蠱毒の話かな?
 だったら、聞いたことある」

その名前はAは聞いていなかったらしく
「蠱毒?」
と逆に質問していた。
48 :モンキチ@\(^o^)/:2015/07/07(火) 16:32:10.68 ID:5K9EcLcC0.net[3/11]
Bは話を続けた

「違うの?俺が聞いたことあるのは、
 100年近くも前に、あの近くに住んでいた女の旦那が死んだ。
 そ旦那は女に暴力を振るっていたので、女が旦那を毒殺したと噂があったけど、
 証拠がある訳でもなく、捕まるようなことは無かった。
 しかし、近所の人は忌み嫌い、その女の子供と自分の子供を一緒に遊ばせることも避け、
 女も子供も除け者にした。
 孤独になた女は、なにかの宗教のようなもの嵌ったらしい。
 昔の事なので、今で言う新興宗教とはまた別のものかもしれないのだけど。
 それからしばらくして、同じ地区で子供が亡くなる疫病が流行った。
 実際に4人の子供が無くなったらしい。
 医学が進歩していない時代なのもあって、その女が除け者にされたことを怨んで呪いを掛けているのでは
 と言う噂が流れた。
 村の人は実際に女のところにいって呪いを解かないとお前も二人の子供も殺すぞと言ったらしい。
 女は不気味に笑いながら呪いを解く方法を言ったらしい。
 その方法が『蠱毒』だ」

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為松の竹林

長い話をするので暇なら読んでください。
人名は少し変えたけど、地元の実話なのでわかる人が読めばわかるかも。
この話が発掘されて、今そこの住人の間でちょっとした騒ぎになってる。
「為松の竹林」という昔話です。
780 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/09/22(火) 10:26:41.13 ID:CB/MEM2K0.net[2/7]
昔、うちの近くの山の麓に「為松の竹林」と呼ばれていた場所があった。
文字通り竹林だったらしいが戦後は住宅地になり、それを知る年寄りももうほとんどいない。

竹林になる前、明治・大正の話だけど、そこには為松という人のお屋敷があった。
為松さんは盲目の楽師で三味線と尺八の名手。
貧しい家の出でしかも盲目。苦労に苦労を重ねて楽師になったらしい。
しかしそんな過去を感じさせない、洒落た身なりの知的で優しいお爺さんだった。
為松さんには息子が一人いて、この息子には楽才はなかったが商才があった。
起業して貿易関係で成功し、山の麓に屋敷を建てて老いた父に楽隠居させた。
息子は街で暮らし、この屋敷には為松さんと住み込みの使用人だけが住んでいた。
為松爺さんは三味線を人に教えたりしながら、のどかな余生を送れるはずだった。

息子が四十を過ぎてから、屋敷に若い嫁がやって来た。
女は良く働き、盲目の為松さんの世話も使用人まかせにせず進んでやった。
為松さんも献身的なこの嫁を実の娘のように思うようになった。
女は早くに両親を亡くし、天涯孤独だという。
為松さんは自身も苦労人だったせいか、この嫁に同情し、ついには養女にしてしまった。
781 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/09/22(火) 10:27:59.54 ID:CB/MEM2K0.net[3/7]
もうなんとなく先は読めると思うけど、嫁は金目当ての恐ろしい女だったわけ。

偶然か必然か、息子はほどなく事故死した。ビルからの転落で原因はわからない。
女はさっさと夫の会社を売り渡し、不経済だという理由で屋敷の使用人も解雇した。
為松さんが大事にしていた三味線も尺八も、死んだ奥さんの着物も
屋敷にあった金になりそうな物は、全部勝手に売り払ってしまう女だった。
為松爺さんは心痛でみるみる弱り、寝たきりになってしまった。
目も見えないのに使用人はおらず、手の平を返した嫁は爺さんの世話を完全に放棄。
為松さんは食事もろくに与えられず、奥の座敷に閉じ込められ痩せ細っていった。
寝たきりなのに体も拭いてもらえず、粗相した糞尿で悪臭が漂う。
空腹に耐えかねて嫁を呼んでも、「臭い臭い。早く死ね」と怒鳴りつけられた。
近所の人や為松さんの知人が屋敷を訪ねても、
嫁は「父は弱っていて誰とも話をしたがらない」と嘘をついて追い返した。

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キレる大人

初めての修学旅行での話、かなり古い思い出になってきたからぶっちゃける
たぶん中一の秋くらいだよな修学旅行初体験って
場所もたぶん想像通り捻りもなく他の学校と同じ
そこで泊まった旅館の話なんだけど、4~6人組で一部屋だった気がする
しっかり覚えているのは洗面台
覗き込んで「おーい」って言うと違う部屋にいる子に聞こえて返事がかえってくる
古い旅館だし配管通して別の部屋の音が伝わっても不思議じゃない
それにそこそこ大声じゃないと会話にならないからすぐに先生にバレてあんまり騒ぐなって注意された程度
だけど子供にはいい玩具でどの部屋とどの部屋で会話出来るかチェックして遊んでた
先生もたぶん毎度のことなんだろーから少し注意するだけで大体スルーだった
問題は夜中に発生した

529 2/4 sage New! 2012/08/29(水) 15:56:54.40 ID:N6iwRUe90
夜はテンション上がるとはいえ流石に廊下にまで聞こえるほどの音量でヒソヒソ話はしない
自分たちは枕寄せて普通にヒソヒソ話をしていたのに、いきなり先生がはいってきて怒られる
「いい加減にしなさい!」って
自分たちは不良(笑)でも優等生でもない当たり障りない普通の生徒だったから流石にビックリした
深夜に寝ないで小声でおしゃべりがそれほど先生を激怒させるものかと
でも先生はそう言った直後に洗面台の方へ向かった
「ココで話してたのは誰か答えなさい」と言う
それが水電話(確かそんな風に呼んでた)のことだとわかったので素直にやってませんと答えた
すると先生がマジギレして鬼の形相で掛け布団を剥ぎ取って怒鳴る
ちょっと脱線して学校の話をすると、うちはぶっちゃけると幼稚園くらいから高校まで一貫の受験校三ツ星レベルのいいとこってヤツだった
先生も生徒も基本お上品、不良=髪をしっかり結ばないとか、制服のベルトでスカート丈を短くしている、成績が悪い(最重要項目)とかそんなので卒業までたいしたトラブルはなかった

530 3/4 sage New! 2012/08/29(水) 15:57:52.72 ID:N6iwRUe90
昼食の弁当の中に果敢にも饅頭を詰め込んで食べているところを見つかりHRでこれはお菓子扱いなのか(お菓子持込は校則違反)
弁当の範囲内で許可されるべきなのか先生vs生徒で熾烈な言語による闘争が起こり
結果として売店で昼食時に販売されるものがすべて「菓子」パンと呼ばれる部類であること(惣菜パンは食中毒の問題とかで売っなかった)
弁当箱に詰めて昼食の時間に食したということから、昼食時においてのみ「弁当箱に入っているのならば」饅頭も可という判決を勝ち取るレベルのトラブルしかなかった
そういう環境にどっぷりだったからあの先生の怒りようは初めて見るマジギレで間違ってないと思う
文字通り自分たちは凍りついたまま、先生は口調こそいつもの先生だったけど行動がありえないくらい乱暴だった
腕をつかまれて「さっきまでここで先生と話していたのは誰?」と
当時のあの部屋内のメンバーで自分がリーダー格?だったことと、実はこの水電話に気がつき大はしゃぎで仲間引き連れてチェックし回っていたのは何を隠そう自分だったので
先生が自分を犯人と決め付けていることに今ならすごく納得がいく
だけどやってないものはやってないし、涙溜めてやってませんって震える声で言うと周囲も○○さん(自分)はやってません!ってフォローする
こっちが必死に泣くのを堪えてるのに背後では誰かがすすり泣きはじめ、ようやく他の先生が合流

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葬る

415 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2012/03/15(木) 01:17:54.00 ID:4pvQLdB90
津波の時に俺を10年ほど虐待したバアさん葬った話需要ある?

460 :415[]:2012/03/15(木) 01:32:11.46 ID:4pvQLdB90
まあ書いたことそのままなんだけど、
俺は11歳頃まで父方の実家で、父・母・祖父母(+数年後に弟)と一緒に暮らしてた。
で、この祖母と母の嫁姑仲が最悪に悪かった。そこから恐らく全て始まったんだけど、
まずババアは母の出産自体気に食わなかったらしく、生まれたばかりで退院して間もない俺の額を指で凹ませて殺そうとしたことが二度ほどあったらしい。
んで当然ながら時間が経つにつれて和解。おばあちゃんは優しくなりました。
なんてことはなく、まあ虐待じみたことを10年ほど我慢してたんだが、ついに母親が切れて父と離婚→俺と弟連れて引越しし、ババアとの縁は切れた。
かに思われたんだけど、その日、去年の3/11の時には丁度爺さんの命日で、爺さんには何かと世話になったということで
実に9年ぶりに父方の実家に戻っていた。
その時家にいたのは俺、弟、ババアの三人。(母と父は仕事で夜に来ることになっていた)
丁度出前の昼飯を食い終わり、コタツで週間ナントカという女性向け雑誌見てる時だった。

664 コピペ 2/8 sage 2012/08/17(金) 23:53:36.87 ID:kRa6Fvkt0
476 :415[]:2012/03/15(木) 01:40:06.01 ID:4pvQLdB90
バキン!ととてつもない音がなり、家全体が持ち上げられて落とされたような衝撃。
それからバキバキと家全体を鳴らしながら本当に身動きが取れないほどの縦揺れが続いた。
俺は四つん這いでコタツから這いでて玄関に向かい、高速自動ドアと化してる扉を抑えつけて大声で弟を呼んだ。
爺さんの書庫で官能小説漁ってた弟が同じく四つん這いで生まれたての子鹿みたいに這って出てきた。
その時、ババアは仏間。完全にババアのことは頭になかった。
なんとか弟を家から出し、降ってくる瓦を避けながら庭で2人蹲っていると、
ガラス越しに仏間で蹲るババアの姿が確認できた。
その頃には揺れがだいぶ収まっていて、他の家々から人が出てきて安否確認なんかをしていた。
俺は何を思ったか再び家に、ババアを救助しに入った。

665 コピペ 3/8 sage 2012/08/17(金) 23:54:58.34 ID:kRa6Fvkt0
491 :415[]:2012/03/15(木) 01:48:23.02 ID:4pvQLdB90
ババアは半分泣きながら爺さんの位牌と経典?のようなものを抱えて、
何かぶつぶつと念仏のような独り言のようなものをつぶやいていた。
俺は硬直してるババアの腕を取って「ばあさん危ないから家出よう」とかなんとか言った。
ここでババアまさかの「やんた(嫌だ)」発言。
家の中はめちゃくちゃ、瓦もガラスも散らばっていて、外では防災無線がガンガン鳴り響いている中、
「えさ居ればいい!おは居る!(家に居ればいい!私は逃げない)」
俺パニック。家は高台にあったが海に近く、津波はとてもここまできそうにないが次揺れたら家は潰れそうなくらいのギシギシっぷりだった。
ババアの両肩を掴むと羽交い締めのように抑えつけ、比較的ガラスが飛び散っていない縁側からババアを連れて脱出した。
ババアは発狂していた。外では防災無線がますます鳴り響き、海抜の低い下の方の家の住民が喚きながら坂を登ってきたり、
糞狭い小道を軽トラがギチギチに占領していたりでえらい騒ぎだった。

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子どものころの怖い話 洒落怖

鬼

幼稚園の頃、鬼を見た。

その日は山に囲まれてる田舎のおじいさんの家に泊まった

わりと近所なので普段から何回か泊まったことはあったから普通にご飯とか食って2階で寝てたんだけど
深夜2時~3時くらいに眩しくて目が覚めた

ふとベランダを見ると
鬼が3人座って何か話をしていた。

ベランダの入り口には横にスライドするガラスの窓があって、その一枚手前には障子のふすまがある

そこにやけに明るい月に照らされて
いかにも「鬼」というような出で立ちの3人がシルエットになって映っていた。

怖かったがとりあえず隣で寝ていたおばあさんを起こして僕が「ベランダに鬼がいる!」と小声でいうと
おばあさんが眠そうに起き上がってまず電気を点けた。

すると当然障子にあったシルエットは消えて、おばあさんが障子を開けてもそこには何もいなかった。

その日見間違いって事になって次の日、家に帰った。

475 本当にあった怖い名無し 2012/08/14(火) 11:47:42.82 ID:hMVdjWtAO

元々、おじいさんちは古~い木造家屋だった事からイトコとの間でも「幽霊が出る」って噂があったけど
実際に本物を見たのは僕が初めてだった

だが話はそれだけでは終わらず、
ちょうど一週間後の土曜日に夜中家で寝ていたら
母親に叩き起こされた

「今おじいさんの家でおじいさんが暴れて警察とか救急車が来てて
今お父さんが様子を見に行ってるけど一緒にいた親戚が包丁でおじいさんに刺されたらしい。とりあえずおばあさんが危ないからウチに非難させる」

という事で
僕はビビって震えながら家で待機していた。

しばらくすると
おばあさんとお父さんが帰ってきて、
おばあさんは
「おじいさんが鬼に取り憑かれた!
いっつも山でカラスとか鹿を猟銃で撃ってるから祟られんだ!」
と話していた

いきさつを聞くと、
親戚で集まって酒を飲んでいたら
急におじいさんが立ち上がって奇声をあげながら台所に行き、包丁を振り回したらしい

元々おじいさんは温厚で人を刺すようなタイプじゃない。
お父さんも「あんな顔のじいさんは見たことがない。本当に鬼が乗り移ってるような顔だった」
と言っていた

ちなみにこの事件は全国ニュースにもなりました

487 本当にあった怖い名無し 2012/08/14(火) 12:29:46.60 ID:hMVdjWtAO
>>475
結局おじいさんは捕まって留置場?に入った。

でも元々山とか田んぼとかの地主だったことからお金はいっぱいあって大金はたいてすぐ帰ってきた。

おじいさんは事件の事は全く覚えてなくて
朝起きたら見知らぬ場所で警察に囲まれていたらしい

すぐに身内全員が集合してみんなの前でおじいさんが土下座。

刺された親戚ともすぐに和解しました

その事件から十年以上経って、おじいさんも病死し、何事も無く過ごしていたんですが
去年の2月、イトコの女の子(4才と6才の姉妹が)今はおばあさんしか住んでいないあの実家で泊まっていたら鬼を見たという

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逆さの樵面

836 1/12 sage 2005/12/11(日) 20:07:10 ID:CUnu3Rn40
私が生まれる前の話なので、直接見聞きしたことではなく、その点では私の想像で補ってしまう分もあることを先に申しておきます。

それから地名、人名等は仮名としました。
もったいぶった始め方ですが、この話の終わりには家の戸口に影が立つこともあるかも知れません・・・

私の生まれた村はつい先日合併によって閉村し、別の名前の町に生まれ変わりました。
しかし千羽神楽の名は残っています。

室町時代から脈々と続くこの夜神楽は、かつて村の4つの家によって継承されてきました。
稲には実りを、また山には厳しい寒さをもたらす神々を、歓待し楽しませるための舞を踊るのです。

村にある神社を1年間で順繰りに回り、氏子たちが見守る中で夜が更けるまで舞い続けます。
舞うのは4つの家の太夫と、かつては決まっていたようですが現在では1家を除いて家筋の消息が不明となり、若者不足も重なって舞太夫には誰でもなれるようになっています。

もともと4家に神楽を伝えたのは熊野より落着した日野家であると、資料にはあります。
当主であった日野草四郎篤矩がそのとき持参したといわれる神楽面が、のちに村の家々の戸口に影を立たせることになるのです。

837 2/12 sage 2005/12/11(日) 20:09:57 ID:CUnu3Rn40
千羽神楽では素面の舞もありますが、面をつけての舞がほとんどです。
神楽面は舞太夫が人から人外のものへと変わるための装置であり、衣装を合わせ面をつけた時、それは太夫ではなく鬼神や魔物そのものが舞っているものとして認識されます。

そのため、神社の中とはいえ人の領域の内に鬼神を招くための結界として、はじめに注連縄が張られるのです。
受け継がれてきた古い面には力があり、けして粗末な扱いをしてはならないとされています。

江戸中期に記された『千羽山譚』には、「特に翁の面は怪力を持ち他の面と同じ行李に入れていては、他の面を食い破る」という不気味なことが書かれており、現在も神楽面の中で唯一翁面だけが竹で編んだ小さな行李に単独で保管されています。
私の父はこの翁面の舞手でしたが、いつもこの面を着けるときだけは
手に汗が浮くと言っていました。

さて、室町時代より500年にも亘って続く千羽神楽ですが、その長い歴史の中で演目が亡失するということもあったようです。
千羽郷に赴任された役人の古河伝介が記したという『千羽山譚』や、その他の旧資料に現れる神楽の記述によると、もう舞われなくなっている4つの舞があることがわかります。

このいずれも、面も祭文も残っておらず、資料の挿絵によって衣装が辛うじてわかるくらいでした。
ことの発端は、この失われた舞が復活する次第よりはじまるのです。

838 3/12 sage 2005/12/11(日) 20:12:06 ID:CUnu3Rn40
大正11年の5月11日、神楽面が出て来たという通報が村役場にありました。
高橋家という旧家の土蔵より、幾ばくかの資料とともに2つの神楽面が発見されたというのです。
高橋家はかつて数代にわたって神楽の座長を務めたといわれており、何代か前にあとを襲う男児に恵まれなかった折に養子を招き、神楽からは離れていったようです。