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サイコ

逆打ち

294 本当にあった怖い名無し sage 2006/12/11(月) 19:41:11 ID:euciTnRP0
四国八十八箇所を逆に回る「逆打ち」をやると死者が蘇る。
映画「死国」の影響で逆打ちをそういう禁忌的なものとらえている人も多いのではなかろうか?
観光化が進み、今はもうほとんど見ないようだが、
真っ白い死装束のような巡礼服を着て順打ち(八十八箇所を普通に回ること)をしている姿は
まるで死での旅のように不気味で(実際行き倒れも多かったらしい)、
確かにその逆をやれば死者の一人二人生き返ってもおかしくないような雰囲気があり、
また地元の老人方も「逆打ちをしている」というといい顔をせず、
「やめたほうがいい」「罰当たりだ」と苦言を呈してくることがあったそうだ。
さらに「打つ」という表現をするように、八十八箇所回りは
参拝した寺に木の札を釘で打ちつける、というのが本来の作法で、
(現在では木の札を打ち付けることは禁止されており、専ら紙の札を納めるだけである。)
その打ち付けるという行為が「呪いの藁人形」などを連想させ、なんともおぞましい感じがする。
主観交じりの些細なことだったかもしれないが、
「八十八箇所回り、とりわけ逆打ちにはオカルト的な何かがある!」
と、若い俺達に思い込ませるには十分すぎた。
俺は当時一緒に心霊スポット荒らし(心霊スポットでバカ騒ぎしたりカップル冷やかしたり)
をしていた、のっぽのYと茶髪のAという友人二人を連れて
『四国八十八箇所逆打ちの旅』をやることにした。

295 本当にあった怖い名無し sage 2006/12/11(月) 19:42:18 ID:euciTnRP0
大学三年の夏休み、俺達は有り余る若さと体力と時間に任せて自転車で四国に渡った。
「車じゃ味気ない、徒歩は無理っぽい、じゃあ自転車だろう」
という考えだったのだが、
今にして思えば真夏に自転車で四国一周というのも大分無理があったのではないだろうか。
何にせよ、俺達三人はK県S市にある八十八番目の寺(逆打ち開始地点)の前に立ち、
旨いうどんを食い、テンションMAXだった。
暑い日差しにも負けず、パンクにも負けず、夜の薮蚊にも負けず、俺達はひたすら寺を回った。
数日が経ち二十数ヶ所の寺を回り終え、俺達は蜜柑ワールドE県に突入した。
「せっかく蜜柑の国に来たのだから」
と、商店でみかん買い、何番目かの寺で休んでいたときだ。
「あのおばちゃん前の寺でも見なかったか?」
Yがみかんの皮を剥きながら尋ねてきた。
「どのおばちゃん?」
「ほらあれ」
私の問いかけに、Yがその人物を指差す。
その先にはボロボロに薄汚れた格好で(ひどい言い方かもしれないが)大きな鞄を持った中年女性がいた。
「いや、気のせいじゃないか?俺は見た覚えないぞ」
「マジで?見た気がするんだけどなぁ」
「つーか逆打ちなんて物好きなことしねーだろ普通」
(逆打ちコースだと、同じ巡礼者に二度会うことはまずない)
「そうだよなぁ、でも見た気がするんだよなぁ」
Yは気にかかるようだったがその話はそこで終わり、後は
「みかんうめぇ」「この辛さなら巡礼者も行き倒れるわな」
などと言い合っていた。
それから更に何日かかけて、E県の寺もほぼ回りつくした。
(もうすぐE県の寺も回り終える。名残惜しいがみかんともポンジュースともお別れだ)
そんなことを考えながら、B寺という四十数番目の寺で一夜を明かそうとしていた時だ。
時刻はもう午前0時近く、連日の疲れがあるはずなのに何故か眠れない。
Yも同じようで、仕方なく二人でのんびりと星を眺めていた(Aは爆睡)

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田舎・地方の習慣

これを書いていいのか

177 本当にあった怖い名無し 2012/08/23(木) 17:45:42.27 ID:Hl5mz8r+0
流れを無視して投稿

今から20年近く前、小学生の時に田舎に預けられた時の話。
従姉妹と一緒に本家・母屋で祖父・祖母と5人で1ヶ月近く過ごしていて
毎朝のラジオ体操が楽しかったが、それ以外には畑仕事を手伝う程度しか
する事も無く、先祖の墓掃除さえ楽しかった。
ある日、3つ&1つ上の従姉妹達と仲良くなった地元の子と田舎の小学校で
かくれんぼをしてた時、一緒に隠れた地元の子に連れられて校舎の中に入って音楽室に
隠れた時聞いた話で、校舎の裏山の中腹にある御社で毎年肝試しをしているとの
情報が有り(それもちょうど当日)、かくれんぼの後従姉妹と一緒に参加したいと
御願いして帰宅し祖父・祖母に参加していいか聞いたら祖父・祖母が怒った怒った。

十年程前に肝試しで女の子が1人行方不明になり、山狩りをしたが結局見つからず
結局半年ほどして少し離れた沢で半分白骨化して見つかったと。それ以降地元の者で
肝試しを行う事は禁忌とされていた・誰もしないはずなのに、どこの誰に誘われたか!?と
烈火の如く怒られ、半べそで教えてくれた子の特徴を言ったら祖父祖母とも顔面蒼白・・・

当時犠牲になった子の家は事件の翌年に地元部落から出て行き消息不明で、尚且つ
地元小学校はとっくに閉鎖され、その話の次の日に従姉妹と一緒に行ったら、とても
子供が立ち入れる状態じゃない程草木ぼうぼう・荒れ果ててました・・・

今日たまたま約15年ぶりに従姉妹と会い、話をしてて思い出し記念カキコ。
ちなみにぐぐると校舎が有った場所は森になってた。

178 177 2012/08/23(木) 17:53:56.39 ID:Hl5mz8r+0
西日本の中部以西のある村落の話。
ちなみに祖父祖母は約15年前に相次いで逝去し、本家も誰も継がず
(費用が掛かるし地元産業も無い山の中なんで生活が困難)、結局
先祖の墓と仏壇を処分し、菩提寺で永代供養となり終了。
私が最後に訪れたのは、祖母のお葬式があった15年程前。その頃
既に本家は森に飲み込まれそうになってた。今は村落に10軒住んでるか
どうか・の辺鄙なところでした。
数年前、若い女性が猟奇的殺人の犠牲になったところの近く。

185 177 2012/08/23(木) 18:46:16.40 ID:Hl5mz8r+0
少し考えてました。これを書いていいのか。
でも、何か書かないといけない気がして・・・

祖母は乳癌で闘病してたのですが亡くなる2日前、私の母(末娘です)に
言付けをしてたらしいのです。それは例の御社の事。
うちは代々氏子総代で、その御社の運営管理もしてたのですが、その業務を
『必ずうちの家系の女性がやらなければいけないので、お前(母)か伯母達の
誰かにして欲しい』とのことです。うちは大阪なので遠いから無理と答え、姉達
(伯母たち)に通夜の時に相談しても、親戚のなかでも一番近い人も難しい・と
返答が有り、結局お母さん(祖母)の御願いは聞けてないのよ、と先日聞きました。

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予知・予言 田舎・地方の習慣

生贄様

数十年前、曾爺さんから聞いた大正末期の頃に起こったという話。
私の故郷の村には生贄様っていう風習があった。
生贄様っていうのは神様に捧げられる神様の事だ。
生贄様は家畜の中から選ばれる・・・村の牧場や養鶏場に居る家畜の中から〇〇〇〇の月の月曜日の夜に産まれた家畜の中に小さな青色の瞳をした家畜が生贄様、生贄様は人の言葉を喋る。

その殆どはデタラメな言葉だけどたまに「見先言葉(みさきのことのは)」と呼ばれる予言めいた言葉を喋ったりもするが、生贄様の先見言葉を聞いてしまったら、それは必ず忘れなければ災いが
訪れるという言い伝えがある。
生贄様は50年に一度産まれて来る。そして産まれてから7ヶ月後に生贄として捧げられるのだ。

捧げる方法は神社の御神体である鏡を床に置きその上から生贄様を落とす。
鏡に落とすと ポチャン という音と共に生贄様はこの世から跡形も無く消える。

この儀式は神主と生贄様の産まれた家の者だけで行われる掟で、そこに居る全員が神社の地下にある密室で目隠しをして儀式を行う。
生贄様を落とした鏡は8日間は絶体に見てはならないとい言われ儀式の直後に神主が袋に入れると鍵付きの木箱の中に封印され更にその木箱は江戸時代の古い大きな金庫の中に厳重に保管される。
尚、過去に好奇心から鏡を覗いたヤンチャな神主が一人居たそうで彼は禁忌とされた生贄様の言葉を手帳に記録しだしたかと思うとか7ヶ月間ずっと

生贄様を質問攻めにし続けたそうで、ヤバイと思って止めようとした氏子さん達の忠告も無視してかなり険悪な状態になってたらしい。
その儀式の日が来ても案の定鏡を覗いてしまったらしく鏡を見たその日に奇声を発しながら神社を飛び出して行ってしまい行方不明になってしまったそうだ。
で、家族が葬式の準備を始めた数ヶ月後にどこで調達したのか何と鎧武者の格好をして村に戻って来た!

そして意味不明な言葉を村人に対して喋り出した。
神社に戻って家中を漁り出したかと思うと食料庫の中の物全部をその場で食べ始めて何かこれは旨いぞ!という様な顔をして例の外国語みたいな意
味不明な言葉を口走った。
食べ終わるとそのままその場で朝まで眠ってしまったらしい。
目が覚めると神主は元に戻っており村人や家族が聞いても今まで何をしていたのか覚えていないと言った。
それから数日後に村の近所の古墳が盗掘されていると騒ぎになった。

神主はもしやと思い警察に出頭して事情を話したらしい、すると調べてみると何と鎧兜に刀剣類一式は古墳から持ち出された遺物らしかった。
これを聞いた村の老人達は口々に〇〇〇〇様(この地方の風土記とか伝説に出て来る英雄)が乗り憑ったのだろうと噂したそうだ。
その後、その神主さんは神社を追い出された後に何と当時の帝大を大検で受験して合格して結構有名な郷士なになったとか・・・名前は忘れたが。

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洒落怖

禁忌

地元静岡のさらに地方の、文化会館の前にある電話ボックス。
昔は二つ併設されていた。片方は取り壊されて、今は一つしかない。

で、不思議なのが、取り壊されたほうの電話ボックスは、
壊される前からずっと使えない状態だったんだよね。

何故か。

『電話ボックス内に、真っ赤に染め上げられた婦人の像が置かれていた』
からなんだ。
それはちょうど、受話器をとって電話するポーズのまま、
夜のライトに照らされていた。

そんな物が置かれていた理由は一切わからない。
その昔、すぐ隣の高校の教師に話を聞いてみたが、
『知らぬ、存ぜぬ』の一辺答だった。まあ仕方ないが。

さらに気味が悪かったのは、文化会館の職員にインタビューした時。

『おばちゃん、あれ何や?』
「なあに坊ちゃん。ん、あれの事?ごめんねえ。
 私にもわからないのよ~。ちょっと待っててね。
 詳しい人に訊いて来るからねえ」

そういったまま職員のおばちゃんは何処かに消えた。

…そして、帰ってこない。
幾ら待っても帰ってこないので、めんどくさくなって俺は帰宅した。

数日後また行った時に、同じおばちゃんがいたので挨拶して、
この前の質問の続きをしてみた。

そしたら、何故かおばちゃんはニコニコと愛想笑いをするだけで、
うんともすんともいわないの。
何もしゃべらない。
目を合わせたまま、ずっとニコニコしていて、
俺が何を言っても口を開きもしない。

流石に、気味が悪かった。

子供心に、『ああ、これこそが禁忌というものなんだな』
と合点して、俺はあの時から今まで、電話ボックスの事は
触れずに過ごし、次第に忘れてしまった。

そして昨夜、俺が偶然あの文化会館の前を通りかかった時に、見たんだ。
会館前の、併設する二つの電話ボックス。
そのどちらにも、小太りのおばちゃんが入って電話していた。
今時珍しいな、なんてボーっと眺めていたんだが、すぐに寒気がした。

二人いるそれぞれのおばちゃんが、どちらも俺の事をじっと凝視していたから。
どちらも黄ばんだ白目で、連日の徹夜明けのサラリーマンみたいな目。

うわ、気味が悪ィなァ―――――ッ!
と思って、俺は急いでチャリを漕いで家に慌てて帰った。

で、家について一服して、思い出したんだよ。
>>766で初めに書いたとおり、電話ボックスは『今は一つしかない』んだよね。
で、ついでに幼少時に会館の職員のおばちゃんに質問したことも思い出した。

一気に気分が悪くなって、その夜はウンコして寝た。
今朝、何かひどい悪夢を見てたんだが、中身は思い出せない。
夢のラストは俺の部屋にある日本人形が、俺を助けてくれたっていう
わけわからんオチだったんだが。

昼間なのに、雨だというのに、今日は家鳴りが

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田舎・地方の習慣

儀式

436 本当にあった怖い名無し 2011/08/24(水) 02:24:03.22 ID:518hA4rC0
つい先日、田舎に帰った時に聞いた話しが衝撃的だったので書かせていただきます。
うちの田舎はお墓参りの後にお墓から提灯に火を点けて本家に徒歩で帰るっていう
風習のようなものがあります。
それだけだったらありがちなんですが、色々と制約がありまして
1.「提灯の火を消してはいけない。消えた場合はすぐにお墓に戻って火をつけ直す」
2.「走ってはいけない」
3.「提灯を持つのはその場にいる最年少者(ただし赤ん坊のように自分でもてない場合はその次の年齢の者)」
4.「絶対にお社を見てはならない」
この4番目のお社というのは、本家からお墓までの間
ほとんど田んぼしかない道の道中に不自然に小さい林のような場所がぽつんとありまして、
その中には石造りの小さいお社があります。
そのお社の方向を見てはいけない、というものです。
子供の時は私も提灯を持つ役をしたことがありましたが、その時も
祖父や祖母に約束を守るようにと厳命されました。

437 本当にあった怖い名無し 2011/08/24(水) 02:24:48.09 ID:518hA4rC0
その時に聞かされたのが
「提灯の火に御先祖様が乗り移って家の仏壇に入るから途中で消してはいけないよ」
という内容で子供ながらに「なんか変なの」と思ってその役をやっていました。
そしてその提灯持ちの最中、お社の付近に差し掛かると母親が私の目を隠してきたのを覚えています。
当時の私は母親のおふざけだと思い、無邪気にきゃっきゃっとはしゃいでいました。
そしてお社を通り過ぎるまではその状態が続き、母親が手を外すとそのまましばらく歩き、家に到着。
仏壇の蝋燭に火を移して終了という風習でした。
当時はなんとも思っていなかったこの風習なのですが、今年、何年かぶりに田舎に帰り
祖母にその風習について聞く機会があったので聞いてみました。
「そういやYちゃん(私)にはちゃんと話してなかったね。」
と、あの提灯持ちのルールの真意を聞いて正直驚きました。
1.「提灯の火を消してはいけない。消えた場合はすぐにお墓に戻って火をつけ直す」
  これは昔聞いたとおり御先祖様を家に連れて帰るための依り代のようなもの
  火が消えると連れていけない。
2.「走ってはいけない」
  走るとアレに見つかりやすくなるため
3.「提灯を持つのはその場にいる最年少者」
  アレは弱いものを狙うので御先祖様の守護が確実に届く位置、要は提灯の持ち手が一番近い
4.「絶対にお社を見てはならない」
  直接アレを見てしまうと御先祖様の守護も効かない

438 本当にあった怖い名無し 2011/08/24(水) 02:25:50.96 ID:518hA4rC0
祖母は説明しているときに「アレ」という言葉を多様したが私は意味がわからない
「アレってなに?」と聞くと
「アレはほら、お社の中にいるアレだよ。」
話しを聞くとアレというのは田んぼの真ん中にある林のお社の中にいるモノで足の長い猿のような外見をしており
大昔からそこにいる存在で普段は静かにしているらしいがお盆の季節になると害をなすモノになるらしい
名前もあるらしいがそれを口にするのは禁忌らしく「知らないほうがいい」と教えてくれませんでした。
この存在は子供には教えないらしい、興味が出ると「見えて」しまうからだそうだ。
いま思えばあの日、母親が私の目を隠したのもそういう都合があったからなんだなぁと今になって
感謝したものです。
祖母は続けてこの風習、というより儀式の失敗した場合の事を教えてくれました。
過去には途中で火が消えたまま本家に帰ったり、アレを見てしまったりしたりと失敗があった時があったらしいのですが
その時は次のお盆までに必ず一族の誰かが不可解な事故や事件で亡くなってるそうだ。
私はそこで(急に話しが胡散臭くなったなぁ 必ずって…)と思っていると
「去年亡くなったFはアレにやられたんよ」
そこで私はものすごく鳥肌が立ちました。

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昔田舎で起こったこと

4 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2012/03/23(金) 03:38:05.21 ID:dW1mjkVAO
昔田舎で起こったこと

これを誰かに話すのははじめてなんだが、暇な奴は聞いてくれ。

あらかじめ断っておくけど、相当に長い上にヘタクソな文だと思う。
エロもない。
そして多分レスもしない。すまない、あまり時間が無いんだ。
ネタや釣りだと思われてもかまわない。
俺が吐き出したいだけというオナニースレだ。
ただ出来るだけ多くの人の目に触れてほしい。

早速話をはじめよう。
俺が小学5年の頃の話だ。
東京で生まれ育った一人っ子の俺は、ほぼ毎年夏休みを利用して1ヶ月程母方の祖父母家へ行っていた。
両親共働きの鍵っ子だったので、祖父母家に行くのはたいてい俺一人だったが、初孫だった俺を祖父母はいつも笑顔で歓迎してくれた。
山あいにある小さな集落で、集落の北端は切り立った山になってて、その山のすぐ下を県道が走ってる。
県道沿いに商店が数軒並んでて、その中に祖父母家があった。
山を背にすると猫の額程の平地があり、真ん中に川が流れてて、川を渡って数分歩くとすぐ山になる。
山に挟まれた県道と川がしばらく坂を上っていくと、険しい峠になっていて、この集落は峠までの道で最後の集落になってる。
この峠は名前も何だか不気味だったこともあって、昔ながらの怪談話をよく大人たちに聞かされたものだった。

そんな寒村の小さな集落、全部合わせて50人も住んでないような場所だから、遊び仲間になる子供も5~6人ぐらいしか居なかった。

よく遊んでいたのが
子供たちの年長者であるA(中1)
Aの弟のB(小6)
仲間内で唯一俺より年下だった魚屋のC(小4)

川で泳いだりカブトムシを取りに行ったり、東京のコンクリートジャングルで生まれ育った俺にとって、
ファミコンが無くても楽しい田舎での暮らしは新鮮で天国のようだった。

小5の夏休み。
俺は例年通り新幹線とローカル線、さらにバスを乗り継ぎ6~7時間掛けて祖父母家に行った。
翌日から遊び仲間たちに挨拶回りをして、
早速あちこち走り回って遊びまくった。
集落の大人たちから「行ってはいけない」と言われていた
集落南端の山中にあるお稲荷さんで肝試しもした。
カンカン照りの昼間だけど、鬱蒼とした森の中で、
北向きなせいもあって薄暗くて怖かったな。

それとは別にもう1ヶ所「行ってはいけない」と言われてた場所がある。
場所、と言うか、俺が聞いてたのは漠然としたエリアで、
県道伝いに峠方面に行くと、県道沿いに製材工場と墓地がある。
その墓地から先には絶対に行くな、と。
今でこそ県道は道幅が拡張されたり、トンネルがいくつもできたりしてるらしいが、
当時は集落から数キロ先の峠まで、道幅も狭くて交通量も多かったので危ないからだと説明されていた。
確かに両親と車で行ったとき、車で峠を越えたことがあったけど、崖にへばりつくような道で、
車線内に収まりきらない大型トラックがセンターラインを跨ぎながらビュンビュン走ってたのを覚えている。