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犬鳴き岩に打ち付けた藁人形

小学校に入ったばかりの頃、同じクラスにいじめられっ子がいた。
貧しい家の子で、いつも悪臭を漂わせ、性格も暗くおよそ子供らしくない男の子だった。
ある日、公民館の庭で藁(わら)の束で遊んでいたときにふと思い立ち、藁人形を作ってみた。
オカルト好きな少年だった僕は、予想外の出来映えに作るだけでは満足できなくなり、翌日件のいじめられっ子の髪の毛を手に入れ、人形に埋め込んだ。
さてあとはどこかに打ち付けるばかり。
思い巡らすと少し遠出することになるがぴったりの場所がある。
地元に言い伝えられる犬鳴き岩の周りは暗い林になっていて、牛の刻参りには打ってつけだ。
もっとも夜中に行くわけにはいかないので土曜日の半ドンのあと、半日かけて行くことにした。

次に犬鳴き岩を訪れたのは数年後の小学校中学年になり、親友と大喧嘩した週末だった。
いじめられっ子も健在だったし、すっかり忘れていた僕がなぜまたそこへ行く気になったのかは分からない。
とにかく前回のようにまた犬鳴き岩にやってくると、以前と何も変わらず暗い林の中に岩はうずくまっていて、僕が以前人形を打ち付けた名残は全くなかった。
前回と同じように、髪の毛は親友のものを使い、首の付け根めがけひとしきりハンマーを振るうと家に帰った。
親友とは翌週には仲直りし、犬鳴き岩の儀式は記憶の隅に押しやられた。

その後覚えている限りでは、小学校高学年の頃に父の、中学生になって兄の髪を持って犬鳴き岩へ通った。
それらも何事もなく過ぎ去り、もう思い出すことなどないはずだった。

63 : 本当にあった怖い名無し : 2012/02/23(木) 21:44:52.76 ID:XmMjbSNw0
すっかり忘れ去った記憶が蘇ったのはそれから十年近く経ち、久しぶりに郷里に帰ったときのことだった。
親友とは未だに付き合いが続いていた。
成人して酒を飲めるようになり、旧友たちとの再会に話も弾んでいたある夜。
小学生時代のいじめられっ子が、若くして命を絶っていたのを知った。
親しくしていた者もいないので原因は推測するしかなかったが、自宅で首を吊ったらしい。
話を聞いた瞬間ちらと犬鳴き岩での記憶が脳裏をよぎった。
しかしあれは子供の頃、虫を無意味に殺したのと同じただの遊びのはず。
そう片付け、僕はかつての級友の冥福を祈った。

時が経ち三年後、就職し郷里からはさらに足が遠のいたが親友たちとの付き合いは続いていた。
ある日衝撃的な報せが飛び込む。
当の親友が、事故で亡くなったのだ。
仕事で高所作業中の落下事故で、首の骨を折り即死だった。

茫然としながら、やはり記憶の縁をかすめるものがあった。
犬鳴き岩の思い出。
僕は、いじめられっ子のときと同じく、親友の髪を埋め込んだ藁人形にも首に釘を打ち込んだ。
それも二三年後に。
こじつけかもしれないが関係があるのではないか。

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父と娘

今から語る話は、僕の母がまだ若かった頃体験した実話だ。いや、実話らしいとでも言っておこうか。あまりにも現実離れしているから、僕も今まで、誰にも話していないくらいだからね。だって話したところで、たぶん誰も信じてくれないだろうから。
僕の母は若い頃、開業医の兄のもとで看護婦をしていた。
なので、話の中で看護婦と言えば僕の母、先生と言えば母の実兄の事だと思って下さい。

当時の医者は、現在のように役割分担がはっきりしていなくて、来る者は拒まず、皮膚病患者から妊産婦まで何でも診ていたらしい。
ある日の夕方、頭に大怪我を負った女の子が医院に運ばれて来た。
運んで来たのはその娘の父親で、まさに半狂乱の状態だったという。
先生は一目で(これは到底助からない)と思ったが、出来る限りの手は尽くした。が、その子はやはり助からなかった。
娘の亡骸にしがみつき号泣する父親。看護婦はただオロオロするばかりだ。あまりにも哀れで、怪我の理由を聞く事も出来ない。
先生も看護婦も、その親子とは顔見知りだった。いや、顔見知りも何も、その娘を母親の胎内から取り出したのは他ならぬ先生だったのだ。
看護婦は、泣き喚く父親を呆然と眺めながら、いつも手をつないでいた親子の姿を思い浮かべていた。

その親子は、犬神すじとして、町の者から嫌われていた部落の人間だった。
今では考えられない事だが、差別の対象となっていたその村の出身者は皆、犬神憑きだとされ、町の者から忌避されていたのだ。

先生は元来物欲のない人で、貧しい者からは一切金を受け取らなかった。ただし無償で診察していたわけではなく、「秋には少し米を分けてくれや」とか「美味い肉楽しみにしてるで」とかで済ましていた。
そんな人だから部落の者からの信望は厚く、一度医院が火事になりかけた時も、消防団よりも早く彼らが駆けつけ、ボヤで済んだ事もあったらしい。

突然、号泣していた父親が立ち上がる。
「先生、俺、絶対許さねえ!みなごろしにしてやる!!」
そう叫ぶと、娘の亡骸を残したまま医院を飛び出した。
単純に不慮の事故だと考えていた先生は(まずい!)と思ってすぐに後を追った。

90 : 本当にあった怖い名無し : 2012/02/24(金) 22:47:53.86 ID:AVSsPknX0
看護婦も外に出て、何としてでも父親を止めたかったが、さすがに遺体を置きっぱなしには出来ず、先生を待つ事にした。
先生は1人で戻って来た。必死で探し回ったが結局見つからず、家まで行ったがもぬけの殻だったらしい。
先生は仕方なく警察に連絡した。が、警察にしてみれば、殺しに行った事が例え事実でも、誰を殺しに行ったのかが分からなければ防ぎようがない。
医院に運ばれて来た時、娘にはまだ脈があった。
僅かでも意識があって、思いを伝えられる瞬間があったとすれば、知っているのは父親だけだ。
警察、先生、看護婦、学校の教師らが手分けして、一軒一軒尋ねて回った。
「家族の中でMちゃん(娘の名)の死に心当たりがある者はいないか?」と。答えはどこの家も、NOだった。

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過食症の姉の末路

私の姉の話で、私自身が体験した話です。

私の姉は過食症でした。
高校二年の頃から姉はよく食べるようになりました。
元々よく食べる方だったのですが間食も増え、一回の食事の量は二人前は当たり前。
自発的に運動は少ししていたようですが食欲は増すばかりで今まで標準体型だったのが3年の夏にはどうみても肥満体系に。
それが過食症だと私は薄々気づいていたのですが家族(特に母)はほとんど姉に関心がなく、見てみぬふり。
姉は大人しい性格で母や父のせいもあり学校や友達の話などほとんど語りませんが、学校での成績は中の中、運動神経は中の上
友達は少人数ながらも良く家に連れてきたり遊びにいったりと充実した様子で、誰に対してもいつもにこにことして良く接していました。

ですが、夏ごろになるとそれが顕著になり私が心配して「お姉ちゃん、大丈夫?」「ちょっと食べすぎだよ」と言うと
「え?何が?大丈夫だよ」「大丈夫、あとで運動するから!」と笑ってはぐらかすようになりました。
母はと言えば、丸々太ってもなお際限なく食べる娘が醜くなったのか「お前は家を食い潰す気か!それ以上その食生活続けるなら家を出て行け!」
と怒鳴りつけてしまいました。
姉は少し悲しそうな顔をしましたが反論することもなく、次の日からすっぱりと普通の食事量に戻りました。
一週間経っても何事もなかったかのようにその食事を続けていたので私も「あれ?過食症ってこんなにあっさり治るんだ」と思いました。

120 : 本当にあった怖い名無し : 2012/03/04(日) 02:25:39.24 ID:zO6uNh/P0
しかし、そんな簡単に治るものではありません。
それから2週間程経った8月の夜中1時過ぎ。私は寝苦しさから水を飲もうと二階の自室から一階のリビングに降りていきました。
私は癖で電気を点けずに歩いていたのでリビングでライトを点けようとした時、奥のキッチンから物音と人の気配が。しかもうっすら明かりが。
えっ、もしかして強盗?と思い用心してライトは点けずにキッチンの方に向かうとそこに居たのは強盗ではなく姉でした。

姉は半開きの冷蔵庫の前に座り込み一心不乱に何かを食べていました。くちゃくちゃとガムを噛む様な音がしていましたがライトを点けると
それが何かはすぐに分かりました。生肉です。母が買っていた、焼いてない生の牛肉でした。
しかも食べていたのは生肉だけではありません。座り込んだ姉の周りは鶏肉、生の野菜、ハム、生卵、マーガリン、ソースやマヨネーズといった調味料
後ろの引き出しも開けられており乾物類やホットケーキミックスなどの粉物なども散乱
そして姉が吐いたと思われるおびただしい量の嘔吐物が床一面に広がっていました。
私はパニックになりながら「お姉ちゃん!何やってるの!?何食べてるの!!!どうしたの!!」と姉の肩を掴んで慌てて生肉を取り上げると
見たことも無い、完全に正常ではない目つきで私を見て「ん?あー、大丈夫。あはは。大丈夫」と口調だけはいつもと同じ、何気ない返事でした。

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隣の住人

数年前知り合いAが「ワケあり物件」に引っ越した。
立地はいいもののちょっと手を伸ばせば隣の建物の窓が開けられるぐらいの間隔で
真横にアパートが立っていて家賃は2万円ちょっと。

隣のアパートと隣接した部屋は日当たりも悪いためずっと物置部屋の様にして使っていた。
ある日その物置部屋に置いたであろう何かが必要になって久しぶりに部屋の中へ入った。
しばらく物探しをしていた最中にふと窓に目をやると隣のアパートの窓の向こうに人がいて、こっちを見ていた。
Aの部屋の窓は普通のガラスで、隣のアパートの窓はくもりガラスだったため
実際はこっちを見てたかはわからないらしいが取りあえず顔はAの部屋の方を向いていたらしい。
その後数十分そこにいたらしいが、部屋を出る際にまた窓に目をやると
まだその人は窓の向こうにいて、全く動いた様子が無いからAはマネキンかな?と思ったらしい。

翌日また用があって物置部屋に入った。案の定隣のアパートの窓の向こうには人の顔。
マネキンだとしても気味悪いからこっち向けて置いておくなよとか思いつつ
気にすることもなく用を済ませて物置部屋を出た。

それから3日後ぐらいの夜、仕事から帰ってくると
隣のアパートの前に救急車とかパトカーとか停まっていてなんだか物々しい雰囲気になっていた。
その日は疲れていたため何が起こったのか気になったが寝てしまった。

次の日隣のアパートの住人に「昨日何が起きたんですか?」と聞いた。
「あーあの部屋で男の人が首吊って死んでたみたいだよ。」みたいな感じで教えてくれた。
あの部屋と行った時にその人が指を差した部屋は、Aの物置部屋と隣接していた部屋だったらしい。
しばらくしてAはあれってもしかして・・・とマネキンの事を思い出し凄く怖くなりすぐ越したそうだ。

人から聞いた実話ではこれが一番怖かった。

210 : 本当にあった怖い名無し : 2012/03/21(水) 21:45:53.26 ID:c6lTnOeV0
うああ・・・・怖い!怖いよ!

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猫の恨み

286 : 本当にあった怖い名無し : 2012/04/22(日) 13:54:45.91 ID:H+11qpVT0
学生の頃の話。友達と4人で深夜ドライブしていた。
田舎の細い道で周りは民家だったのでカーステの音量を下げて通り過ぎようとしたら、
運転してたAが急に車を止めた。
私は助手席にいたのに気付かなかったのだが、「猫を轢いたかもしれない」と言う。
Aが確認しに行った所やはり死んでいた。
すると後部座席のBが「猫は祟るから成仏させる為には
木に吊さないといけない」と言い出した。
「かわいそうだからやめて、埋めてあげた方がいい」と言っても聞かず、
結局運転手のAと言い出しっぺのBが実行することになり、
懐中電灯とビニール袋を持って行った。

私ともう一人後部座席にいたCは車で待機。
しばらくして二人は戻ってきた。
Bがビニール袋に入れて木の枝に吊したそうだ。
母猫だったようで、終わるまでは子猫が側にいたらしい。
「気持ちを残すとついてくるから忘れろ」と言われても、
あんな事しちゃいけないんじゃないかと余計に忘れられない。

それからしばらくBからの連絡が無く、十日ほどして電話してみると
熱を出して一週間寝込んでいたそうだ。
以下Bの話。
ドライブから帰って玄関のドアを開けると血に染まった猫の足跡が一つあった。
同棲中の彼女に塩を持ってきて貰い、体に振りかけて盛り塩をした。
足跡を拭いても擦っても消えない。
それから一週間彼女も一緒に熱を出して寝込んでいた。

Bに会ってみるとやつれていたが、その後は何も起こらず
しばらくして足跡も消えたそうだ。

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送り番

474 : 本当にあった怖い名無し : 2012/06/05(火) 00:12:40.90 ID:g7GCb+yj0

子どもの頃ひい爺さんから聞いた話を書きます。

ひい爺さん(以下爺さん)は明治の早い時期の生まれで、しかも山村で育ったため
いろいろと奇妙な風習を知っていて、自分が子どもの頃によく話してくれました。
爺さんの村では送り番という役回りがあり、これは三軒ひと組で回り番で当たる遺体の
埋め役のことだそうです。当時爺さんの村はまだ土葬で、寺で葬式を行った後に遺体の
入った棺桶を荷車にのせて村はずれにある墓域まで運ぶのです。村の顔役や男手のない家
では代わりを頼むこともできましたが、葬式では酒も振るまわれ些少の礼金も出たそうです。

ただ遺体は棺桶(これは四角い棺ではなく丸い大きな桶)ごと埋めると場所と手間、費用も
かかるので、4~5尺ほどの穴を掘って、死装束の遺体をそのまま埋めるのだということでした。
そうするうちに村で人死にがあり、これは当時では珍しく自殺だったそうです。五十ばかりの
百姓が土地争いの裁判で負けて先祖代々の耕作地をすべて失ったのを苦にしてのことでした。
そして爺さんと組んでいた埋め役の一人が訴訟の相手だったのです。これは具合の悪いことでした。
遺族もその人にやってほしくはなかっただろうと思うのですが、その人は、葬式には出ないが
村のしきたりの埋め役はやるといって頑としてきかず、これは後で考えると村内で弱みを見せたくない
という虚勢や打算があったのではないかと爺さんは言っていました。

475 : 本当にあった怖い名無し : 2012/06/05(火) 00:13:06.41 ID:g7GCb+yj0

葬儀では棺の中に古銭を入れたりなど各地でさまざまな風習があるものですが、爺さんの村では
遺体の口の中に鬼灯(ほおずき)を入れるということをしていました。表向きは死出の旅の慰めに
ということになっていましたが、本当は死人が口を利いたりしないよう封じるためだったろうとのことです。
葬式が終わって、寺の外で待っていた訴訟相手の人ともう一人の人と三人で荷車に棺桶や鍬などの道具をのせ、
街灯もない街の灯りもない月もない夜道を、くくりつけた提灯の明かりだけを頼りに出かけていった
そうです。墓所までは三十分ばかり、さらに小一時間ほど穴を掘って遺体を桶から出して穴に下ろします。
丁寧にやっていたつもりでしたが、底まで一尺ばかりのところで誰かの手が滑ったのか遺体を頭から
穴に落としてしまいました。するとポンと音を立てて口から鬼灯が飛び出しました。

もう後は土をかけるだけでしたので、鬼灯はそのままにして腹から土をのせていきました。さすがに
顔に土をかけるのはためらわれるので、一番最後になることが多いのだそうです。爺さんはこれでもう
終わったようなものとやや気を緩めていたところ、急に月が雲間から出て穴の底まで射し込み、死人の
顔を照らし出しました。すると死人はかっと目を見開き、目だけを動かして辺りをねめ回しておりましたが、
訴訟相手の人を見つけるとその顔を見据えて、吠えるような大声で「お前が送り番か、悔しい」と叫んだのです。
もちろん三人は鍬も何もかも放り出して一目散にその場を逃げ出しました。