話は変わるが中学の頃で思い出したが、修学旅行先のテレビから思いっきり睨まれたことがあったな
「こういう旅館とかって、絵の裏とかにお札張ってたりするんだぜw」とか言いながら部屋ん中荒らしてたら
オレンジ色っつーか赤っぽい光に照らされた感じの顔が下から斜め上を見上げるようにこっちを見てた
勿論そんな場面のドラマや番組はやってなかった
タイミングばっちしだっただけにあれはビビったwww
タグ: 修学旅行
私は友人の間では「幽霊避け」扱いされています。
行ったら絶対何かある!と言われているような心霊スポット巡りに
私が同行すると、何も起こらない。
自殺者が出た部屋に入居した友人が霊現象で悩まされてた時も、
私が泊まりに行ったら、それ以降霊現象はぴたりと止みました。
オカルト好きな友人からは「よっぽど強い守護霊がいるんだね!」と
言われますが、私の後ろにいるのは守護霊というよりも、怨霊に近い
存在じゃないかと思ってます。
そういうモノに守られてるのかな?と自覚したのは、子供の頃です。
950 949 sage 2012/02/04(土) 13:04:18.37 ID:xOE3aK9R0
当時小学四年生だった私は、二歳上の兄と一緒に、母方の祖父母の家に
遊びに行きました。
毎年夏休みの間、お盆前後の一週間から十日近く滞在することになっていました。
いつもは母と一緒に行くんですが、その夏は初めて子供だけで新幹線に
乗ったということもあり、よく覚えています。
祖父母はずっとその土地に住んでいたのですが、なんとなく近所とは
付き合いが薄い感じで、私と兄は身内以外の同年代の子と遊ぶということも
ありませんでした。
かといって差別されているような雰囲気でもなく、どちらかといえば敬意を
払われていたように思います。
祖父の地元では盆祭の時、神社の境内で神楽舞のようなものを奉納するのですが、
太刀を持って魔物を追い払うといった役割の舞い手は、常に祖父の一族の誰かが
務めていました。
127 : 本当にあった怖い名無し : 2012/03/04(日) 12:31:32.16 ID:C8/Dhig30
その夏も例年通り、神社で神楽舞が行われることになりました。
この年の舞い手に選ばれたのは兄で、舞いを覚えるため、子供達だけ先に田舎へ
向かったのです。
ちなみにこの時、兄だけでなく私も舞いを覚えさせられました。
兄は退屈な田舎で舞いの練習をさせられるのが嫌でたまらず、しょっちゅう
従兄弟達と抜け出してはさぼっていました。
それでもなんとか、祭までには一通り舞えるようになっていたようです。
祭の当日、太刀を持つメインの舞い手は、朝から神社の拝殿にこもらなければ
ならないというしきたりがありました。
兄は最初大人しく拝殿にこもるふりをしていたのですが、大人達の隙を見て
私を身代わりに拝殿に押し込め、従兄弟と一緒に出かけてしまいました。
祖父の田舎には「絶対に足を踏み入れてはいけない山」があったのですが、
兄と従兄弟達はその山へと向かったそうです。
祭の時なら大人達は忙しくて気がつかないだろう、と考えた兄達は、
神社の裏手から伸びる山道をつたい、禁足地とされた山へと足を踏み入れました。
兄の話によると、その山へと入る山道にはぼろぼろの鳥居があって、道を
塞ぐように注連縄が張ってあったそうです。
鳥居はぼろぼろなのに注連縄は新しく、定期的に誰かが取り換えているように
見えた、とのことでした。
山は怖すぎる……夜の山に一人で行けるか?……サンカや亡霊が潜む山に……
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1361555183/217
217 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2013/02/23(土) 05:37:50.53 ID:PzXYLJw20
旦那の趣味&サイトの小遣い稼ぎで露出プレイさせられてた。
とある秋の日、山梨との県境の山で全裸になってオ*ニー撮影したら、
その後生理こなくなって、念のため産婦人科いったら妊娠してた。
ずっと不妊治療うけてたのに。
超音波撮影したら、頭に突起物あって明らかに奇形児。
医者には堕胎すすめられた。
ずっと夫婦で願ってた赤さんだったので、
最初は意地でも生むつもりでいたけど、
身の回りで不審火が続出して、お祓いいったら、
神主さんに血相かえて「鬼子を堕ろせ」といわれた。
堕ろすもなにも、その日の夜中に出血して流れた。
角はえてた。怖くてそのままトイレに流した。ごめんなさい。
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西駒遭難の遺族・偲岳会 8月に記念事業
大正2年、1913年に駒ヶ岳登山で発生した中箕輪尋常高等小学校の
集団遭難の遺族らで作る偲岳会は、100周年にあたる今年8月に、記念事業を行います。
13日夜は箕輪町内の飲食店で、2回目の100周年実行委員会が開かれ、
偲岳会のメンバーなど9人が集まりました。
駒ヶ岳遭難は、大正2年、1913年の8月に、中箕輪尋常高等小学校の修学旅行で
駒ケ岳に登山した生徒・教師合わせて37人が、山の上で暴風雨にあい、11人が犠牲になったものです。
今年8月に、遭難から100年を迎えることから、遺族らで作る偲岳会は、記念事業を企画しています。
記念事業は、8月25日に予定していて、慰霊祭のほか、記念講演会などを予定しています。
講師は、駒ヶ岳遭難を題材に小説「聖職の碑」を書いた新田次郎さんの息子で
・お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦さんを予定しています。
また、偲岳会のこれまでの活動をまとめた記念誌も作成する予定です。
585 名前:あなたのうしろに名無しさんが 投稿日:2001/04/29(日) 14:28
昔見た夢なんですが。
自分が夜の道を歩いている。場所は湯河原とかの温泉街っぽい感じ。少し坂になったアスファルトの道だった。
気が付くと左横に一軒の旅館が見えた。修学旅行なんかで使いそうな三四階建ての旅館、電気はきえてて中は真っ暗、なぜか自分はその旅館に近寄り中に入っていく。
深夜の病院のように緑色の非常灯がついてて奥のほうは見えない。横のあった従業員用みたいな
階段をなぜか上っていくと、上の階についた、そこでふっと気が付き「帰ろう」と思って階段を下りていくが、
なぜかおんなじ場所に戻ってきてしまう。出そんな私を浴衣をきた夫婦がじっとみている。
何度やってもでられずこまっていると、一人の老人が近寄ってきて、無言で私を導いてくれた。
すると始めにきた旅館の入り口に出られて、入り口のガラス扉が見えた。
私がその方向へ急いでいこうとすると、その老人が一言「あんた本当は死にたくないんだろう?」
そこで目がさめた。
壕の中で
592 本当にあった怖い名無し New! 2008/05/17(土) 21:02:48 ID:HLK4ALqg0
自分の場合、ゆとり世代だけあって
修学旅行は沖縄まで行ったんだけど、
まぁ案の定戦争に関連する場所を周るのが中心になった。
ひめゆりの塔やら、名前は忘れたけど自殺者の多かった岬やら。
その二つでは特に何もなかったんだけど、
防空壕として使われていた鍾乳洞に入ったときは明らかに違ってた。
めちゃくちゃ背筋だけが寒く感じて、
入りたくないって先生に何度も訴えたのに元気そう+男という理由で連れてかれた。
懐中電灯の明かりをみんな一斉に消した時、
何かお経みたいな低い男の声が聞こえてきて泣きたくなった。
何かを見ることはなく、ようやく出口が見えてきたとき急に、
「助けてくれ!!」って野太い男の大声が聞こえて、思わずパニックに陥りかけた。
自分だけじゃなく、他に4人ほどその声が聞こえてた。
霊感のない人やそういうの経験がない人に言いたいけど、
そっちのほうが幸せだよ。
今もまだ
242 本当にあった怖い名無し New! 2008/04/16(水) 05:45:47 ID:alH4HjQj0
小学校の頃の修学旅行の話。
夜の9時に生徒全員で(84名)肝試しをやることになった。
一人ずつ近くの神社の鳥居にタッチしてもどってくるだけの簡単なものだったが
片道60mぐらいしかないのに、すごく不気味だった。
中にすごく嫌がる女の子が一人いて、ずっとやるのを拒否していたが、
みんなが激励して、一番最後に女の先生と一緒にいくことになった。
だが、出発して10分ぐらい経っても一向に帰ってこない。
普通は30秒もあれば充分帰ってくるのにおかしい。
鳥居には男の先生が一人、監視役に待機していたが!?
数十年経った今もその3人は行方不明のまま・・・