この怖い話は約 4 分で読めます。

342 刀  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/10/02(金) 22:44:46 ID:o7OYvvFV0
「そうだな」と言ってから、小川さんはネクタイの先をねじった。
「まあ、そういうことをするなとは言わないけど、昼間っからってのはちょっと控えるんだな」
ん? と言う顔をした。僕と師匠で。
小川さんは自分の首筋を叩いて見せた。思わず二人ともその首のあたりを見つめる。細い首だ。
ハッと気づいた表情をして、師匠は自分の首筋を触りその指先に視線を落とす。
薄っすらと赤い色がついている。首筋にもかすれて広がった丸い微かな赤い跡。
あ、印鑑の。
そう思った瞬間、「このボケェ」という怒声とともに師匠の足が鳩尾に飛んできた。

痛ってぇ。
と、右腕をさすりながら事務所の階段を下りていると師匠が何かを思い出したのか「ちょっと外で待ってろ」と一人で引き返して行った。
事務所の下の喫茶店の前で顔見知りのウエイトレスと立ち話をしていると嬉しそうな顔をして師匠が下りて来る。
「なんか食ってこうぜ」
そう言って、千円札を何枚かヒラヒラさせた。
どうやら調査費を前払いしてもらったらしい。しかし家に行って刀を見るだけの仕事で調査費なんて使うことあるんだろうか。
疑問に思ったが、まあくれたからには使っていいのだろう。
「でも今から行くって電話したばかりですよ」と諌めると、師匠は恨めしそうな顔をして「じゃあさっさと片付けてこよう」と僕をせかし始めた。
コピーした地図を見ながら自転車に二人乗りして目的地に向かう。
蒸し暑さに何度も汗を拭いながらペダルをこぐこと二十分あまり。古い家の並ぶ住宅街の一角に倉持氏の家を発見した。
「へぇ」と言いながら師匠が後輪の軸から足を下ろす。
想像していたより立派な日本家屋だ。数寄屋門から覗く庭がかなり広い。
門の傍らについていたインターホンで来意を告げると、倉持氏本人の声で「どうぞお入りください」と返答があった。

345 刀  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/10/02(金) 22:49:13 ID:o7OYvvFV0
庭と言うより庭園とでも言うべき景色を見ながら石畳の上を歩いて玄関にたどり着くと、ガラガラと戸が開いて和服姿の老人が出迎えてくれた。
「倉持です」
痩身から引き締まった表情の顔が伸びている。七十年配だと聞いていたが矍鑠とした姿はもう少し若く見えた。
「どうぞ、お上がりください」
値踏みするように師匠を見つめながら右手を流す。
僕は緊張したが師匠は平然と靴を脱いで倉持氏の後をついて行った。
涼しげな音をさせる板張りの廊下を進み、僕らは庭に面した広い和室に通された。
「いまお茶を」と倉持氏が消え、ほどなくして戻って来たときにはお盆の上に高級そうな和菓子も一緒に乗せられていた。
主人と客がそれぞれに居住まいを正し、もう一度名乗りあった。
僕もおずおずと名刺を差し出す。
「坂本さん」
まだその響きに慣れない。偽名を使うのは所長に無理やりあてがわれたからだが、いつもこの嘘が見抜かれないかと不安になる。
僕の将来に対する配慮らしいが、そんなやっかいごとに巻き込まれる可能性を恐れるならそもそもこんな師匠みたいな人について回りはしないのだが……
「僕の方は助手というか、あの、ただの付き添いです」
口調が気に入らなかったのか師匠が「堂々としてろ」と目で発破をかけながら僕の足を小突いた。
「さっそくですが、ご依頼の品をお見せいただきたい」
契約に関するやりとりを終えて、師匠はそう切り出した。
「ええ、いま」
倉持氏は両手をついて立ち上がった。
二人だけになった部屋で僕は師匠に声をひそめて話しかけた。
「なにか感じますか」
静かな日本家屋は外の蒸し暑さが心なしか緩和されたような空間で、少しづつ汗が引いていくのが心地よかった。
師匠は畳から壁、そして天井の四隅へと首を巡らせた後で「なにも」と言った。

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