Categories: 洒落怖

わだかまり

この怖い話は約 3 分で読めます。

811 キモロン毛 sage 2011/10/27(木) 01:01:07.88 ID:vp23R+Ua0
iPadからなのでゆっくり投稿になりますが聴いてください。

俺は小さい頃から父方の祖父母が嫌いでした。
理由は母親が虐げられていた事。事実かどうかはわかりませんが、名家である父方から母方は随分と下に思われていたらしく、言葉や態度の端々からそれは現れていたそうで、それは幼い俺自身にも伝わってきていました。
だから、高校卒業するまで年に一度しか会いに行かなかったし、大学時代祖父母が相次いで亡くなっても葬式で一粒の涙もこぼさなかった。むしろ、ああ、やっと死んだのか、という感情すら抱いていた。
社会に出て、色々な経験を積み、父親になってもおかしくない年齢になった頃には祖父母の顔は俺の記憶の中から消去されてしまったかのように思い出せなくなってしまっていた。
ただ、踊りが好きなばーさんだったな、とか、九十になっても運転する迷惑な爺さんだったな、とか、お年玉に米をくれたっけ、とかあまり良くない思い出ばかりが頭に残っていた。

812 キモロン毛 sage 2011/10/27(木) 01:18:43.27 ID:vp23R+Ua0
大学時代には父親と、祖父についての意見の食い違いで取っ組み合いの喧嘩をしたことがある。
号泣しなから殴られ、家を出て行くように告げられた。
以降5年に渡り、父親とは疎遠になったのだが。

元々父親とも俺は仲が悪かった。
坊主でありながらも起業家でもある父は努力と財布の紐には特にうるさく、俺は父の友人の息子たちと事あるごとに比較された。その度に劣等感に際悩まされ、当て付けに悪事を働いた。
繰り返される悪事と折檻。
父の意向に背き遠方の私立高校に進学し、父の意向に背き地元から離れた大学に進学した。
そうして大学時代に絶縁宣言をされる事になる。

しかし、社会に出てから歳を重ねるにつれて色々と『わかって』くるもので、母親が抱えていた育児ノイローゼや父親の下手くそな思い、祖父母が抱えていたであろう複雑な感情などが理解できるようになる。

813 キモロン毛 sage 2011/10/27(木) 01:26:05.56 ID:vp23R+Ua0
父親の不器用な愛情も理解できる年齢になると、妹と弟にそれぞれ子供が産まれ家族が増えた。
すっかり丸くなった父を見て、ああ、この人は不器用だったのだ、と思えるようになってきた。
給料で父の日に贈り物をしたり、ボーナスで旅行につれて行ったり、普通の家庭で行われる普通の親子関係ができるようにもなってきた。

お父さん、ありがとう。

そう素直な気持ちで言えるようにもなってきた。

お父さん、ありがとう。
そういえばこの言葉は父親が祖父の葬式で棺桶のそばで言っていたなと思い出したのがつい最近、この夏の事だ。
顔も思い出せない祖父母の葬式での事をふと思い出した。

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