Categories: 洒落怖

虐待の末路

この怖い話は約 3 分で読めます。

仮称Aってダチがいた
小学校の頃はよく遊んでた
良いやつだった

何歳の頃だったかもおぼえてないけど
誕生日会に呼ばれた
リビングにとおされると部屋の中が暗かった
Aがなきそうな顔だった気がする
Aのお母さんがでてきてカーテンを開けた
すると一部だけぬれた布団がベランダで干されていた

Aは母親の袖をひいて泣き喚いていたが
当の母親はにたにたと笑っていた
Aがおねしょをするたびにどれだけ大変か
その誕生日会はAの母親の自慢話大会となった
その翌日からAはオネションというあだ名をつけられた

またある時遊びにいくと
Aの母親が突然部屋にどなりこんできた
その手には、殆ど○がついた答案用紙がある
俺なんて半分は×だったからどなられるくらいはなれっこだが
Aは俺の目の前で往復ビンタをされた
Aの母親はやはりにたにたと笑っていた
「B君はこんなささいな間違いしないわよね」
俺は首を横にふった
丁度その日に小テストがあったので
その答案用紙の惨憺たる有様を見せた
「おかあさんはどういう教育をなさってるのかしら」
勝ち誇ったような笑みだった

706 本当にあった怖い名無し sage 2010/06/27(日) 13:01:20 ID:dSWMMDU50
Aはよく体育を休んだ
喘息の俺が最後尾を走ってる姿すら
うらやましそうに見ていたところをよく見かけた

Aは頭が良いやつだった
良い点をとるとにっこり笑っていたが
だんだんそれもなくなってきた
誰かへのあてつけのように
白紙の答案用紙を提出して
校長室に呼び出されることも増えてきた

中学二年くらいになると
Aにとって友達といえるんは俺だけになった
Aは夏場でもよく長袖を着ていた
俺はAに何がおこってるか気付いていた
校長室に度々足を運んで
Aを助けてくれと教師達に懇願した

ある日Aの母親が学校にどなりこんできた
俺のクラスまでやってくるといきなり首をしめられた
嘘つきと連呼されながら気が遠くなっていった
問題にはならなかった

その日を境にAは俺にも声をかけなくなった
俺からは挨拶をしていたのだが返事もしなくなった
学校にはAの母親がたびたびくるようになった
俺は途中まではがんばって戦った
だがA自身が虐待がないと証言した
俺こそが嘘つきであるといったのだ

707 本当にあった怖い名無し sage 2010/06/27(日) 13:04:42 ID:dSWMMDU50
Aが起こした事件がテレビをにぎわせたころ
テレビの中でAの母親がこう答えていた
「しかるべき罰をうけるべき」
俺はその場で気を失うほど怒り狂った
迷わずテレビ局に電話をかけて
Aの弁護士の連絡先を教えてもらい
俺はA側の証人として立つことを決めた
現役を退いた昔の校長先生などもきていた
Aの父親すらAのために証言台にたった

Page: 1 2

bronco

Share
Published by
bronco

Recent Posts

ブライダルフェア

いや、たいして怖くないんだけど…

4年 ago

教祖の妻の肖像画

親が昔、へんな宗教にはまってた…

4年 ago

The Body

10年くらい前の話だけど・・・…

4年 ago

謎の曲

出所が分からない所からの楽曲ダ…

4年 ago

エレベーターで見たもの

じゃあ俺が生涯で一番ビビった話…

4年 ago

強烈な遺体

久しぶりに民話でなく現代の話を…

4年 ago