この怖い話は約 3 分で読めます。

880 : 1 : 2012/04/28(土) 08:00:44.74 ID:7eUxgPD+0
南篠範夫 灯台鬼

唐の代宗皇帝の宴でちょっとした騒ぎがあった。
日本の遣唐使の一員、小野岩根が、宴の席次が
気にくわないとして、自分たちより上座にいた
新羅大使の前に躍り出て、席の交換を強要したのだ。

周囲が必死におしとどめ、宴は表面上
つつがなく終了した。

石根は功名心の強い青年で、妻が嘆くのを
気にかけながら、わざわざ遣唐使として唐にわたった。
帰国後はそれなりの地位が約束されていた。

881 : 本当にあった怖い名無し : 2012/04/28(土) 08:09:55.43 ID:7eUxgPD+0
石根は宴の翌日、留学生の高階を連れ、
馬に乗って散歩に出た。長安の逝く春の名残を惜しもうと
思っての行動だった。しかし、途中で五騎の集団と
すれ違い、突然おそわれた。岩根は落馬したが、岩根は高階に逃げて助けを呼ぶよう指示したために、高階は逃げ去った。
岩根は槍で身を貫かれ昏倒した。おそってきた相手は
新羅の者たちだった。

882 : 本当にあった怖い名無し : 2012/04/28(土) 08:18:59.23 ID:7eUxgPD+0
石根が一員であった遣唐使の船は帰国途中で海難に遭い、
日本に戻った時には、船と言うより、ただの木の
固まりとなっていた。石根も海難で亡くなったことになっていた。石根の妻、依子は嘆いた。石根の遺した幼い息子
道麿呂がいなかったら、夫の後を追っていただろう。

帰国することができた高階は、依子に真実を告げた。
実は石根は海難で亡くなったのではなく、
新羅におそわれて、拉致されたのだと。
依子の胸に、石根生存の希望の灯がともった。
道麿呂が長じた後、唐に渡り、石根を探し出す。
これが母と息子の使命となった。

884 : 4 : 2012/04/28(土) 08:28:37.44 ID:7eUxgPD+0
道麿呂は母の期待通りに精進し、遣唐使の
一員となり、唐に渡った。道麿呂は父親の消息を
つかむべく、八方手をつくすが、結果は空しかった。
異国人が多いという揚州に足をのばすと、
そこでとある宴に招かれた。

宴は非公式のもので、当時珍しい黒人、盲目の3美女
(わざと眼を潰している)が事を弾く、
片足片手で舞う美女、赤ん坊の頃から箱にとじこめて育てた箱人間
など猟奇的な趣向のものだった。

886 : 本当にあった怖い名無し : 2012/04/28(土) 08:38:18.99 ID:7eUxgPD+0
盛り上がる宴の中、客人も芸を、ということで
道麿呂は皆の前で、母が作った歌を吟じはじめた。
すると、何故か明かりが揺れた気がした。
燈台の方をみやると、おかしな事に、燈台を
下役人がむち打っていた。
道麿呂は燈台に駆け寄った。
なんとその燈台は人間だった。60代くらいの
男が直立するように鉄の輪で柱に拘束されていて、
頭にも鉄の輪をはめられており、
そこに蝋燭が立てられていた。顔には口まで裂けているかのような不気味な彩りがなされていた。宴の間中身動きも許されず、動けばむち打たれるのだ。

Page: 1 2 3

bronco

Share
Published by
bronco

Recent Posts

ブライダルフェア

いや、たいして怖くないんだけど…

4年 ago

教祖の妻の肖像画

親が昔、へんな宗教にはまってた…

4年 ago

The Body

10年くらい前の話だけど・・・…

4年 ago

謎の曲

出所が分からない所からの楽曲ダ…

4年 ago

エレベーターで見たもの

じゃあ俺が生涯で一番ビビった話…

4年 ago

強烈な遺体

久しぶりに民話でなく現代の話を…

4年 ago