Categories: 洒落怖

心の病

この怖い話は約 4 分で読めます。

640 part1 of 4 sage New! 2012/06/21(木) 15:23:04.83 ID:J4aB7EU70
ピンとこんかもしれないけど書きたいから書く。

2003年から2011年春までニートだった。
最初の三年はほんと外出も何も儘ならない状態。
ただただ、毎日夜も眠れず睡眠時間は1時間位。
世にいうパソヲタニートというわけでもなく、パソコンなんて無い。
時折カウンセリングとか連れてかれて、
神経科医にもかかって、パニック障害 PTSD 自己愛性人格障害 とか色々病名がついていった。
欝もありーのと精神病のオンパレード。どこか他人事だったな。

普通の病院にも連れて行かれるようになった。
頚椎捻転やら、そこからくる筋緊張性の頸動脈の血流異常やら
自律神経失調症やらと、そこでも多数の病名がぼろぼろぼろぼろついていった。

次の二年は、闘病だった。頚椎捻転は治療開始から半年程で全快。
自律神経失調症は残り一年半ほどでやっと回復。
といっても自律神経失調症に関しては、完治はしてない。
今も手足の指の先の神経痛や、脊椎神経痛、や頭痛や耳鳴りは残ってる。

2008年年末頃から夢を見始めた。
幼い俺がベッドでのた打ち回ってる。黒い影が覆いかぶさって首をしめてる。
場面が変わって、髪の毛を掴まれてひきずられている幼い俺。
ぶちぶちって音とともに髪の毛と少量の皮膚が引きちぎれていく。
黒い影に覆いかぶさられて、それが手に持ってる何かをつきつけられてる俺もいた。
見る度に、俺はものすごい恐怖でその日はベッドから起き上がる事もできなかった。
なぜだか、見たものを話しちゃいけないような気がして、2009年の夏位までは、カウンセラーにも言わなかった。

642 part2 of 4 sage New! 2012/06/21(木) 15:24:20.89 ID:J4aB7EU70

カウンセラーに話すと、すぐさま同じクリニックの院長の神経科医の診察室につれてかれた。
二分か三分雑談しながら、院長が俺の言った事をメモしたノートを見ながら。時折ながく目をつむっていた。
「これは、おそらく事実です。犯人の見当も私にはついています」
俺は、これを聞いた瞬間にこれまでにない恐怖を感じた。
「大丈夫、お母さんはいませんよ。私はこれをけして口外しない。だから絶対に大丈夫なんです」

嘘のように恐怖がひいていき、そのあと三時間弱に渡って俺は泣きじゃくり続けた。
とても忙しいだろうに、時折俺の様子をクリニックの人たちが見に来てくれた。
いつからか俺は寝入っていたらしい。
それまで見た夢をまたその居眠りの中でみた。
影には色がつき、それは母親の姿をしていた。

「お母さんと呼んでくれてもいいのよ」
俺は、カウンセラーの一人の中年のおばさんの更生プログラムを受けた。
他にもう一人K子という先輩と一緒に、その家で暮らした。
相変わらず俺は家から出られなかった。消失していた記憶が戻ってきて以降。
俺の自己不信と自己愛性人格障害は嘘のように消え失せて、
代わりに、強い人間不信とPTSDのフラッシュバックが酷く、歩いている最中にもよみがえる虐待の記憶で、
貧血でもおこしたかのように倒れるなんてことが多くて、とても出歩ける状態じゃなかった。
おばさんは俺に早いうちにパソコンを買い与えた。何をしろとも言わなかった。
数日して工事の人がやってきて、俺に貸し与えられていた部屋にADSLが引かれた。
ある日俺はむしゃくしゃしてパソコンの液晶を殴った。殴り続けた。
俺は今も右手の薬指と小指の神経がやられてこの二本を動かす事ができない。
おばさんは黙ってまた新しいディスプレイを買った。
何度も何度もこういうことを繰り返している内K子が俺を羽交い絞めにしてとめるようになった。

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Tags: 虐待障害

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