洒落怖
濡れたチケット

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122 1 2009/07/22(水) 02:31:49 ID:+r78dEHF0
以前、某コンサートホールでバイトをしていました。そのときの経験を話そうと思います。
はじめに気がついたのは来客総数を試算する、チケット・チェックの場所でした。わたし
たちはもぎったチケットを事務室にあつめ、総数を出して公演の主催者に報告するんです。
楽しい時間でした。ほとんど女の子ばかり、おしゃべりしながらチケットを数えるのは飽きる
ことのない作業です。わたしの場合、事務机にもりあがったチケットの山を両手でくずし
ながら束をつくってゆくのですが、あるとき、当日発売なのにぼろぼろの、水分を
ふくんで膨れあがったチケットを見つけたのです。記載事項を確認しようにもインクは
滲んで、かろうじて「R-11-○○」(忘れました)という席番が読み取れるだけでした。

さて、コンサートホールのバイトは演奏中、シフトによってホールのなかにも入ることができます。
正直なところ、わたしはいわゆるタダ見をねらってバイトを申し込んだクチでした(ごめんなさい)。
マホガニーの二重扉のかたわらに座っているだけの気楽な仕事ですが、演奏中、体調の悪化された
お客さまがいればロビーまで導きますし、不正に録音をこころみている方を発見すれば
主催者に報告しなければなりません。しかしそのときまで、わたしは演奏中になにか
不都合に出くわしたことはありませんでした。その日もチケット・チェックをおこなった
のち、後半の演奏、シューベルトの四重奏をしずかに楽しんでいたのを覚えています。

123 2 2009/07/22(水) 02:33:02 ID:+r78dEHF0
ただ、演奏がゆったりとしたアダージョの楽章に入ったときでした。低音を基調とする
弦楽器の曲調のはしばしに、トライアングルを打つような、するどい高音が断続的に聴こえるのです。
はじめ、演奏者が舞台をふみならすきしみかと思っていたのですが、ぴん、ぴん、ぴん、
ぴん、という音がだんだん大きくなっていき、やがて痛みとなって鼓膜につたわるような、
耐えがたいトーンになっていきました。わたしは思わず耳を両手でふさいで、首を垂れると、
ローファーの靴のところにひとすじ、透明な液体が流れてくるのが見えました。ホールは
舞台にむけて勾配が下ってゆく構造になっています。カーブを描きながら流れてくる液体
を逆にたどってみると、わずかな照明の下、黒髪を短く刈りこんだ二十歳くらいの女性と、不意に、
視線があったのです。おおきな瞳でした。そのとき音はやみ、液体は舞台のほうへ流れてゆきました。

そのときは、誰かがペットボトルからミネラルウォーターのようなものをこぼしただけ
と思い、それほど気にかけずに勤務を終えたような気がします。ただ、更衣室で着替え
ながらくりかえし思いだしたのは、あの、トライアングルのような響きの、かたいかたい
耳ざわり、不思議に粘りけのあるように見えた液体の、するすると舞台にくだっていく
様子、そしてショートカットの女の子のまわりがホールの青い照明をあつめたように
ぼんやり、にぶく光っていたように感じたことです。いま考えてみるのですが、当時の
わたしがそれほど体験を不気味に感じなかったのは、ちょうど一時期の木村カエラのよう
なファッショナブルな女の子の髪型と、その表情のかわいさが影響したのだと思います。

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