師匠シリーズ

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788 木  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:16:46 ID:4o0HgrnU0
大学二回生の春だった。
近くを通ったので、オカルト道の師匠の家にふらりと立ち寄った。
アパートのドアをノックしてから開けると、部屋の中では師匠が畳の上にあぐらをかいてなにかをしきりに眺めている。
近づいていくと、後ろ向きのままの師匠と目が合った。
「よお」
卓上にしては大きく、姿身にしては小さい中途半端な大きさの鏡だった。
軽く嫌な予感がする。
「鏡ですか」
と言わずもがなのことを訊くと、「うん」と頷いたきり鏡の中の視線を外して正面をまじまじと見つめている。
俺はその横に座ってそんな師匠をじっと観察する。
なにをしているのだろう。
まず普通に考えると、オカルティックないわくつきの鏡を入手したのでご満悦の図。
次点で、ただ自分の顔を見ている。
どっちかだろう。
鏡は縦に長い楕円形をしていて、陶器のように見える台座の中央から支柱が伸び、リング状の枠につながっている。鏡は枠の左右から出た棒で支えられており、上下にくるくる回る仕組みになっているようだ。
古そうにも見えるが、そんなにおどろおどろしい印象は受けなかった。
「なにしてるんです」
鏡を見つめ続ける師匠にしびれを切らした俺が問いかけると、ようやく前のめりの重心を戻した。
「考えごとをしていた」
そう言って息を吐く。まるで呼吸することようやくを思い出したという体で。
「鏡について?」
そう訊くと、「ふ」と笑い、ゆっくりとこちらに向き直る。
「こんな話がある」
片手で鏡をくるりと裏返しながら。
「だれもいない森の奥で、木が倒れた。さて、そのとき音はしたのか、しなかったのか」

789 先生  後編  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2009/09/04(金) 22:22:08 ID:4o0HgrnU0
あ。
聞いたことがある。
だれもいない森の奥で木が倒れたのなら、その音を聞いた人もいなかったということだ。
観察者である人間を介さずに、音が存在しうるかという問題。
「それ、なんかよく分かんないんですよね。音がしたに決まってるんじゃないですか。だって本来、観察者がいないんだから木が倒れたっていう部分からして疑ってかかるべきなのに、そこを前提にされてるんなら、音だってしたでしょうよ」
「それでも月はそこにある、って言ったのはアインシュタインだったかな。……まあいい。この命題は『音』を振動そのものとしてとらえるか、振動が生物の聴覚器官に知覚されたものととらえるかによって考え方が違ってくるけど、
音はした、っていうのがほとんどの人の回答だろう」
師匠はそこまで言うとまた鏡に手を伸ばして人さし指で裏面を押し、回転させた。
「では、次の問題はどうだ」
鏡面がこちらに向いた状態でぴたりと止める。
「だれもいない森の奥で木が倒れた。その木の前には鏡が置かれていた。その鏡に、倒れる瞬間は映っているかどうか」
これは初めて聞いた。
とりあえずイメージしてみる。
森の奥。朽ちかけた木。木の前の鏡。鏡には左右逆の姿になった木が映っている。
木が倒れる。鏡の中の木も倒れる。
倒れた木。
だれもいない森の奥で。
分かった。
「どう考えても映ってます。音と同じですよ。人が見てなかろうが、映っていると考えるのが自然です」
それを聞いた師匠がニヤリと笑う。
そしてどこからかキリンの人形を出してきて、鏡の前に置いた。見たことがある。最近出回ってる食玩かなにかだ。
鏡を指さして言う。
「どうだ。なにが映ってる」
鏡の前に、キリンがこちらにお尻を向けて立っている。そして鏡の中ではキリンがこちらに顔を向けて立っている。

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